唐草銀河

「遍愛日記」
3月23日 宵越

3月23日 宵越 (100)

   私は痛むこめかみを押さえながら膝を起こし、無言のまま立ち尽くす相手の手から携帯電話を取りあげた。すでに切れていて、留守電にきりかわっている。
 浅倉くんのことだから、きっと他愛無いことを口にしているにちがいない。もう家ですか、今日はスミマセン、帰ったら続きを、や、デートしようよ。
 そんなところ、か。それとも。
 今どこにいるの、ミズキんとこじゃないよね、とあの野生動物なみの勘で声を震わせているかしら。
 まあ、もう、どっちでもいい。
 私が携帯電話の電源を切ると、彼はあからさまに眉を顰めた。
「電池がほとんどないの」
 私はそれを投げるようにテーブルに落とす。目で追ったミズキさんの横を通り過ぎながら、口にした。
「シャワー借りてもいい? シャブリは冷やして、あとで飲もうよ」
 腕をつかまれた。
 勢いで抱き寄せてくるものと思ったのに、そのままだった。でも、握りしめる強さは尋常じゃない。どこでするつもりだろうとか現実的なことを考え出したのは、ミズキさんの体温と、つかまれた左腕から伝わる熱に慄いたからだ。きゅうに気持ちが上擦って、それが相手に伝わったらしく、一瞬だけ力が弱まった。目が合うのを避けたくて瞳を閉じようとした自分の気の弱さを憎み、思い切って顔をあげた。
 泣いていた。震えて、声を殺して。
 右斜めしたをむいた頬が濡れて光っていた。
 それは二度目に会ったとき、この台所の片隅で、バクに変身してしまった浅倉くんを心配して、途方にくれて丸まって泣いていた姿と似ていた。そして今は、あのときよりもさらにずっと、愛らしく見えた。泣き顔がゆがんで見えないというのは美男美女の特権なのだろうか。ものすごく、可愛いかった。
「……ひ、めか、ちゃん」
 その声の、あまりの頼りなさに笑いそうになった。ぜんぜん、平気なんかじゃないくせに、強がっているのは誰だ。誰だって、自分がいちばんで、特別なほうがうれしい。選ばれたほうが幸せだ。
 ねえ、私のかわいそうな、美しいお姫様。はじめっから正直になればいいんだよ。
 でも、そういうふうに言って虐めようとは思わなかった。ちょっと腹黒い気分で口にしたくなったけれど、我慢した。私には、ミズキさんのいうように全世界と引き換えに自分を選べ、と命じたくなる気持ちはわからない。あの美しいものと引き換えになるものはない。けれど、あれは私には抱きしめられないから、今ここにいる生き物を、心をこめて、いとしみたいと思う。
 極端から極端に走りすぎる、この、気位の高い、自分を拒絶するものは認めないと無視することでやりすごそうとする性根をいつかちゃんとあらためてもらいたいと願うから。
「いたいから、手、はなして」
 だから、手をはなすといいよ。両手でちゃんと、抱きしめるから。
「どこも、いかない?」
 いかないから。一緒にいるから。
「いかないよ」
 シャワーは浴びたいけど、とは今は言えなかった。
「僕のこと、いちばんにしてくれる?」
 彼は私の両手をつかんだまま、掌をあわせて指を絡めながら首をかしげた。
「うん。そのかわり、私のこともいちばんにしてね」
 微笑みあって約束しあい、うなずきあってくちづけした。なんて、かわいい。いとおしい。ちから弱く、美しい――
 ほとんど圧迫感のないさするだけの動き。私のいちばん外側をたしかめるような触れ方は自分の肉体が何処までのものなのか確実につたえてくれている。それと同時に意味のあるようなないような、ミズキさんらしい甘い言葉がくりかえされ、このままずっとこれが続けばいいのにと喘ぐように願う。
 長いくちづけの途中、息継ぎをしたくて頤をひきうすく瞳をあけると、白目がわずかで美しいと思っていた切れ長の瞳が濡れぬれとして昏く、こわいくらいに見えた。
「目、閉じないの?」
「うん」
 どうしてか、震えた。欲望という熱だけを湛えているのではなく、とても冷淡にも感じられた。強く抱かれているのに突き放されているように思えて首をふると、ミズキさんの息遣いが変わって、胴にまわっていた両腕がしずかにおりた。そしてなにか許しをこうようなそぶりで、ほとんど音にならないくらいの囁きで私の名前を口にした。
 続いて膝から落ちていく肉体をかきいだこうとして、あのときに見た、絵に描いたように綺麗なつむじがまた見れると期待した。
 ところが、私の身体に思わぬ負荷がかかる。
 え、と思う間もなく、抱きつぶされていると知った。きゅうに体勢がかわったことで喉を引きつらせた私に気づいてミズキさんはすぐさま頬やこめかみにそっと唇をおとし、体重がかからないようにしながら身体を密着させ、長い指で私の髪をすいてなだめすかした。その感じで、このひとらしいなあと思った。それでふっと肩の力をぬくと、
「シャワーもあとでにしようよ」
 笑顔で提案されていた。それは承服できないと首をふると、じゃあ一緒に入る、と言い出した。あきらめて抵抗を放棄すると、すこし心配そうな顔で見おろされた。とりあえず、気になっていたことを口にしてみる。
「私、こういうの得意じゃないから、どうして欲しいとかいろいろ訊いたりしないでね」
 彼は真顔でちゃんとうなずいた。それでも、自分の懸念が払拭されたわけではなかった。
「あとね、ほめたりとか、そういうのもやめてほしいの。それに、あと……」
 ミズキさんが瞳を瞬かせた。
「ほめても、ダメなの?」
「だめっていうか……」
 いやらしいことをもったいぶって囁かれるのも萎えるけど、もちろん言わせられるなんてのは文字通り言語同断で、さらにはほめられても治まりが悪いと口にできなくて目を泳がせた。私のセクシュアリティは偏狭なのだ。
「あのね、僕が思うに言葉以上のセックスはないよ。だから君は今までまともにセックスしてきてない。羞恥心を煽ることで快感がますなんてコードは古めかしすぎて僕もどうかと思うけど、お互い感じたことはちゃんと伝えたほうがよくないかな?」
 私は身を凝らせていたもののかろうじて、首をすくめるようにしてうなずいた。それをみおろして、ミズキさんが破願する。
「姫香ちゃんてかわいい。ヴァージンみたい」


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