唐草銀河

「遍愛日記」
3月24日 夜間

3月24日 夜間 (109)

   蝋石を手にもった。
 従兄の子供のために買ったものを、マンション横の駐車場で私がつかって遊んでいる。はじめの躊躇いの大きさに反比例して、かきだしたらとまらなくなった。
 気に入った線を、ひけなくなっていた。
 しゃがんで後ろへ足をくりだすたび、その負荷がかかる。ぎこちなさの表れのまま強く弱くなり、きれぎれの白線のおぼつかなさにいきりたつ。すると余計にぎざぎざする。気を落ち着けて腰をあげ、見おろす視線で検分し、呼吸をあらため、足運びの速さや持つ手の握り、肘の力加減を飽きずにためしてくりかえす。
 十分に満足とはいかないものの、だいたいこんなものかと思う線が引けたときには、足もとに白絹を流したようになっていた。
 首をまわして眺めわたし、ひと息ついて両腕をふりあげて伸びをしたところで真横から声がした。
「宇宙からの交信は終わりましたか、お姫様」
 ミズキさんが子供のようなかっこうで両手を頬にのせてしゃがんでいた。わ、とびっくりして声をあげると、彼はにこりと笑って立ち上がり、躑躅の茂みの横においていたボストンバッグと薔薇の花束をもちあげた。
「いつからいたの?」
 照れくさくて、声がすこし非難めいた。でもそれを気にするふうでなく、彼は悪戯っ子のように微笑んだままでこたえる。
「つい、さっき。どこの子供がこんな夜分に遊んでるのかと思ったら、君だった」
「声くらいかけてよ」
「鬼気迫る横顔だったから」
 ゆるゆると首をふられてしまった。ジーンズのポケットに入れていたケータイを見ると、十時すぎ。一時間もたっていない。コックリさんでもしたかのように浮かされていた。髪を耳にかけて指先が触れた頬の冷たさに、我ながら夢中になりすぎだと反省した。昔、そうやって道端に絵をかいていてよく友達に置いていかれたなあ。ほんと、子供と変わらないみたいだ。ひとりおかしくて喉をならしたところで花束をさしだされた。
「今日、電車できたんだよね?」
 受け取って抱えながら、ありがとうでもうれしいでもなく、そう口にしていた。
「うん。けっこうな羞恥プレイだったね」
 胸を張る勢いで言い切ったので、
「ミズキさんでも恥ずかしいことあるんだ」
 斜めに見あげて問うと、ひょいとかるく肩をあげて苦笑した。お稽古事をしていたなら花を贈る機会も頂くことも幾らでもあっただろうに、覚悟していた以上に視線が痛かったという様子に遠慮なく吹き出し、どうもありがとう、すごくうれしいとお礼を言った。
 そうしてあらためて腕のなかのものを眺めて吐息をつく。ああ、やっぱりこの花形と香りはロイヤルハイネス。なんで、と考える間もなく気がついた。薔薇の画家ルドゥテを真似て、この花は幾度も写生している。一本千円はするなあと思いながら甘い匂いを吸いこむ。水揚げに失敗したら泣きそうだわ。
 それにしても、欲しいものは自分で手に入れたほうが満足すると思ってたけど、そうじゃないこともあるんだ。この年になってカレシに贈り物されるヨロコビに浸ってるってどうよ? 頬がひとりでに緩んできて、何度でもありがとうと言えばいいのに言えなくて。   
「ミズキさんに持って歩いてもらうなら、真紅の薔薇のほうがお似合いだったかもね」
 彼の着る、これ以上なくそれらしいバーバリーコートのベージュにも、目を射るように紅い花のほうが映えたに違いない。その考えを読み取ったように、
「君の好きなのはでも、それだ」
「うん、そう。これが、好き……」
 赤でも純白でもない、まさに薔薇色の薔薇。剣のように尖った花弁と、真珠の艶をもつこの花が、内に固い芯を残してほころびはじめたくらいがいちばん好き。そういう嗜好はあまりにも日本人的感性にすぎて凡庸で、気後れするほど恥ずかしい。それでも、好きなものは好きなの。
「ミズキさんの好きなお花は?」
 私の問いに、彼は今にも笑い出しそうな表情で軽口をたたくように言う。
「それ聞いて、僕にプレゼントし返してくれるのはなんだか違うような気がするよ?」
 それから、すぐに真顔になって、
「いちばん好きなのは一重の山吹かな。山道であの黄金色の花が咲いてると星が落ちてるみたいでうれしくなる。一輪でもぱっとしてるし、たくさんの花が川辺で揺れたりしてるのも風情があるよね」
 ミズキさんと山吹。意外なような、そうでもないような。
 五弁の花だし、垂れた枝先に三つ、四つと金色があるのはたしかに星が光ってるみたいに見えるかも。春の終わりに咲く花だ。早春を彩るのがコブシ、白木蓮、雪柳のような白い花。爛漫の春には桜。暮れゆく春に山吹が咲いて、それが散ると梢を染める青嵐がやってくる。
「姫香ちゃんてあんな感じじゃない?」
 予期せぬことばに足がとまる。この手の話題でこのひとに太刀打ちできる日はくるのだろうかと危ぶみながら、好きな花でよかったと、なんとなく安心したまま切り返す。
「じゃあ、花屋さんじゃなくて園芸センターから株でお届けしないとならないね」
「切花には向かない花だよね。折り取るとすぐ、花が落ちる。子供のころにすごくがっかりして悲しくなったのをよく覚えてるよ」
 横顔を仰ぎ見ると、肩に腕をまわされた。頬の横で、お返しは姫香ちゃんからのキスがいいなあとねだってきた。くすぐったさにうつむきながら、桜に代表されるバラ科植物特有の花弁の脆さを思った。私はそれゆえに好きだけど、あんなふうに儚いものに譬えられるのは心外で、さらにいまの言い方は気になった。ただ、はぐらかされたと感じたのだから、それ以上は触れられない。
 ふと、十市皇女への挽歌が胸内でこだまする。〈山吹の立ちよそひたる山清水汲みにいかめど道の知らなく〉。闇のなかに煌く黄金の花、山に分け入る上昇運動と澄明な水の湧き出る水底への希求が、立ち装う花の揺れに重なり、明滅する螺旋めいてイメージされる。忘れがたい歌だけど、不吉な感じ。たぶん、獏のはなしが尾をひいている。すこし怖くなって、隣のひとに寄り添ってあるく。
 エレベーターに乗りこむとミズキさんがさっそく顔を近づけてくるので、カメラあるから、と突っぱねる。気にしない、と手をつかまれると冷たかった。
「もしかして、ずっと見てたんじゃないの?」
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