唐草銀河

「遍愛日記」
3月24日 夜間

3月24日 夜間 (111)

   それから一緒にお風呂に入りたいと甘えるのを、えいえいと無理やり先に押しこもうとした。こちらはどこをどう見られても恥ずかしくない美貌を持ち合わせていないのだ。
 ところが彼は、一緒ならともかく先にシャワーやお風呂に入るのは順番が違うと言いだした。滔々と持論を展開しそうな勢いだったので真っ向から反論しようと顔をあげると、まあ今日はいいけど、と思ったよりあっさり引き下がった。気が向いたら、という言質をとっているかららしい。言わなきゃよかったよ。
 ともかく気を取り直して、明日の準備にとりかかる。和室においた箪笥から若竹色の一つ紋付を出してキモノ用ハンガーに吊るし、霞と見える綴れの袋帯をあわせてかけた。色合いが地味かと首をひねりつつ三十女としてはこれで妥当と、帯より濃い、強めの色を足した高麗組でひきしめる。顔映りが勝負なので帯揚は冒険しない。白地に香色と桜鼠、ごく淡い藤色のぼかしを入れる。   
 念のため道行を用意して、仕上げは桜色の大判カシミアストールを羽織る。如月の望月の頃から桜が満開になるまでいけるだろう。
 箪笥から出そうとした長襦袢の地は卵色。たいていのキモノに合う優れもので重宝しているものの、当然ながら色気はない。持ち上げると、その下のたとうに入った紅絹の襦袢が目についた。これを纏うと自分でもびっくりするほど肌が白く艶めいて見え、妙に妖しい気分になる。シルクのランジェリーくらいじゃ感興をもよおすことはないというのに、日本人だってことなのか、いや、非日常度が高いほうが感じる、ということかしら。
 かけてあるキモノに目をやった。お茶席に出かけますと、つんと取り澄ましている。気取りすぎているように感じて、白地に熨斗目模様の付け下げを引っ張り出した。黒い帯をしめれば派手でもないかもしれない。襦袢をどうしようと考えて、これなら赤がいいと思い手をのばしたものの、畳におろせなかった。
「姫香ちゃん?」
 びくりとして背を揺らし、たとうから手をはなした。彼は襖からひょいと顔をのぞかせる仕種でうかがいながら、こちらが振り返ってすぐつかつかと歩み寄りキモノに視線をくれて一言、春の野、とのたまった。なんだかお菓子の名前のようだと吹き出した。
「明日きる着物?」
 うなずきながら、歩く相手をみる。
 彼は下だけ黒のスエットを穿いて、肩にタオルをひっかけていた。きちんと着込んだ姿しか想像できなかった自分を哂う。歴戦を勝ち抜くサラブレットのように官能的な肉体を見るのは快い。彫像に譬えるには生々しく圧倒的だ。この、ただ歩いている人間の存在感と迫力をうつしとるにはトゥールーズ=ロートレック並の動体視力とデッサン力がないと難しいかと悔しくなった。 
 そうしてミズキさんがたとうの窓からのぞく紅を見ているような気がして焦ったけれど、実際はそんなことはなくて吊るしたキモノを眺めていた。なにか疚しいような気がして引き出しを閉じようとすると、
「姫香ちゃん色白いから中間色も上品でよく似合うけど、赤や黒や紫なんかのインパクトのある色のほうが引き立つんじゃないかな」
 すぐには言い返せなくて唇をひきむすぶと、彼は小首をかしげてたいそう可愛らしく微笑んだ。
「紋付やめれば? 僕、祖母の着物選ぶの好きだったんだよね」
 そう言って今度こそ引き出しへと視線を落とし、桜重になるように襦袢はこっち、と命じた。目が早いなあと思いつつ従った。
 私が帯を出して小物を合わせるのを見つめながら、彼がきいた。
「指輪、僕の知り合いのところで直してもらってもいい?」
「お任せします」
 宝石にはとんと縁がない。母は金属アレルギーだし、祖母から譲りうけたのはキモノや帯で、あるとすれば鼈甲の簪くらいか。お茶では、指輪や帯留はお道具を傷つける可能性があるから厳禁だ。
 ミズキさんはしかと頷いたあと、ほんのすこしだけ口ごもるような声で尋ねてきた。
「色のついてない石のほうが便利だそうなんだけど、どうかな」
 ダイヤモンドのことをさして言っているのだとはわかる。でも、私はあのティファニータイプの立爪は好きじゃない。石だけが目立って美しいと思えない。それに。
「私、ほんとに宝石について知らないの。格とか昼夜のつけ方の違いとか」
 今どき日本でそこまでいうひといないって、と鼻で笑われた。そうは言っても、ミズキさんと一緒になるにはそういうことを覚える必要がある。気鬱とまではいかないけれど、少々めんどうくさいし自分にできるか不安でもある。ただまあ、このひとが私でいいというなら、さほど大変なことでもないのかもしれない。
 それから、これを言いたかったのだとでもいうようなミズキさんの言葉をきかされた。
「来週中には御両親にお会いしたいんだけど、予定つけてもらえる?」
 なるほど。先ほどからちょっと彼が落ち着かないように感じたのはこのせいか。このひとのことだからなんでも早めだと思ってたけど、ホントに早い。べつに私もそれで異論はないのだが、でも、こちらにも色々と事情というものがあるのだ。
「……ミズキさん、ひとつ、問題が」
 予想に反して、ミズキさんは緊張しなかった。私はそれに驚いて、目の前に立っているひとを凝視した。すると、
「もしかして、お父さん?」
 私はコクリと首肯した。それから彼が口をひらく前に、
「あのね、ミズキさんがどうこうってことじゃなくて、えっと、たぶん、母は結婚の話は喜ぶかもしれないから大丈夫なような気もするけど、その、絵のこと、父は物凄く反対してるの。だから、その、もしかすると印象悪いかもしれない」
「……それ、どうして今まで言わなかったの?」
 声が格段に低くなっていてどぎまぎるすと、彼は、ああ、と頭を揺すって息を吐いてから、
「ごめんね。君を責めるのは筋違いだね。僕が、察するべきことだった」
「でも、自分で決めたことだし」
「それはちゃんと弁えてるよ。でもね」
 私は次を言わせたくなかった。
「私が決めたの」
 強くなった声に、ミズキさんは唇を真一文字にひきむすぶ。
「私が決めたんだから、いいの。うちは両親とも本も音楽も美術も好きで、ちっちゃい頃からあんなさんざん美術展に連れて行ってくれたくせに、絵も習わせてあげようかなんて言ってたくせに、いざ個展するってなったらそんなことより結婚相手を探しなさいみたいに言うし、父親なんて頭っから、そんなの時間とお金の無駄だって怒鳴るし……まあ、美大に行ったわけでもないし親がそう言うのも無理もないけど」

スポンサーサイト



*Edit ▽TB[0]▽CO[0]   

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)