唐草銀河

「遍愛日記」
3月24日 夜間

3月24日 夜間 (115)

   お風呂を出て、いつもより丁寧に全身肌をととのえた。こういうとき毛深くなくてよかったと思う。顔かたちは整形でもしない限りどうしようもないけど、肌は手をかければかけたほどそれが返ってくるからありがたい。そうしていつものルーティンワークをこなしているはずが、今日はすこしばかり気分が違う。
 たぶん、今日のほうがアガッテイル。
 付き合い始めのカレシが来るとわかっていてジーンズで外に絵をかきにいきそれを見つけられてしまった自分を採点するなら、32点くらいか。不安にさせてしまった一因はそこらあたりにもあるのかも。でも、あんまり飛ばしすぎてしまってもなあ。知り合って一月でセックスするって世の中的にはアリなのかもしれないけど、私にしては最速だ。年齢を考えれば早く色々すましたほうがいいと留美ちゃんなら叱るだろう。でもな。
 私は急いでいる。それに気づいてしまってから、首のうしろから耳のあたりが熱くなったり冷たくなったりして妙な感じだ。
 鎖骨の傷にお湯が凍みた瞬間に心臓が悲鳴をあげて、痛みに喘ぎそうになった。意識して考えないようにすればするほど思い返すので、もういっそきちんと時系列を追って電話の会話から何から全部、再生して、落ち着いた。ちゃんとサヨナラしたのだからだいじょうぶ。途中でちょっと涙ぐんだけど、お湯のなかさ。
 泣くほどのことじゃない。
 鏡のなかの自分は踝までのグレーの丸首長袖ワンピースにモコモコした白い毛糸のカーディガンを羽織る通常スタイルで、子供のように頬を赤くして、どこかほっとした顔をしていた。どうしようもなく素のまますぎて、薄化粧くらいほどこすべきかと考えて、肌に負担はかけたくないとその気遣いを放棄する。十分丈のレギンスをはかないだけ、これでもけっこうハリキッテいるほうなのだ。それに。 
 気合をいれて装おうにも、モノがない。
 二十代の頃は男受けしそうな可愛いパジャマも自分の好みではないセクシーな下着もがんばって身につけていたけれど、みんな捨ててしまった。元カレに対して自分がいかにオンナをさぼっていたか、今になって思い知る。デートではフェミニンな格好を心掛けた。でも、肝心なところで自分の好みのものしか身に着けなかった。年を食っていればいるほど気をつけないとならなかったはずなのに、気を抜いて甘えていたのだろう。
 ミズキさんにも同じことをくりかえさないようにしないと。
 下着は紫系が好みかと推測しパープルに金色の縁取りがついたのを選んでみた。でも、あんまりランジェリーに想い入れはなさそうなんだよな。それに踏んでもらうならブラ外してって言われちゃうからキャミとショーツだけしか着てなくて、なんか変かも。
 といって、お好みのチョーカーを用意していくのも気が引けた。そんなことができるようなら、疾うに自分から、あの綺麗なお姫様のようなひとを押し倒している。
 ほんとはそれくらいしたほうが、お互いのためにいいに違いない。がんばろう。
 和室にもどると、彼はちゃんと上も着て、お布団をしいた横の畳に寝そべって本を読んでいた。足音に気づいて身体を反転し、本をもったままの中途半端な姿勢で顔をむけた。腹筋が苦しそうな体勢だなあと思いながら覚悟をきめて、あんなに咳してあれでミズキさんは平気なの? というか、またああなったら嫌なんだけど、と声にしてみた。
 彼は一瞬、瞳を大きくし、それから、
「もしかして、お風呂に入ってるあいだずっとそんなこと考えてたの?」
 そう、問われた。私は恥ずかしさにうつむき、でも否定もできなくて、しかたなく首肯した。ミズキさんは無言で近づいてきて私を力いっぱいぎゅうっと抱き締めた。そのとたん、凄まじい勢いで私は噎せはじめた。
「ミ、ズ……さん?」
 ゲホゲホいいながら見あげると、彼は眉をさげて微笑んで私の背をさすった。
「ごめんね。君は肋骨折ってるし、呼吸器に負荷がかかると咳するんだよ。一昨日、そうやって解したから、どうすればいいかちゃんと覚えてるんだよね。昨日も言ったけど、体温があがって緊張がゆるんでる証拠だから、悪いことじゃないんだよ?」
 でも。
「すごく疲れるから嫌なんだよね? 君の体力じゃ相当きついよね」
 いや、そうじゃなくて。そりゃ疲れるのはイヤだけど。愛撫していたのか、肺病患者を看病していたのかわからないような状態は、ミズキさん的に悲惨すぎるのではないかと問いたいのだが。
「ごめんね。君が苦しそうですぐにやめないといけないかなって思ったのに我慢できなかったんだよね。だいじょうぶって言葉を鵜呑みにして。呆れた?」
 怯えたような顔をされて、焦った。あわてて首をふると、肩を抱いたまま心配そうにのぞきこまれた。それは昨夜、何度もむけられた視線だった。
「嫌いにならない?」
 こういう言葉は、どっから導き出されるのだろう? 
 好きと言わせたいだけの甘えた睦言ではなく、本気で言っているのだろうか。
 ときどき、私はこのひとのことが見えなくなる。
 いや、そうじゃないか。私が不安にさせているのだろう。つまり、私も不安なのだ。困ったな。でも私の場合はミズキさんの気持ちを疑っているわけではなくて……。
「私が咳ばっかりして、うっとうしくなかった?」
「どうして」
 どうしてと言われても。さいちゅうにゴホゴホいわれては萎えるのではないかと思っただけなんですが。しかも私、自分の反応のあまりのおかしさに笑っちゃってたし、なんで咳するのって子供みたいになんども聞いて中断させたうえに蜂蜜いりのワインまで作らせたし。
「苦しそうだったから心配はしたけど、僕は姫香ちゃんとくっついてるだけで気持ちよくなっちゃうんだよ?」
 言われてみれば、ゲロゲロ吐いてる私にアタウようになってたひとだった。特殊な趣味でもあるのだろうかと訝しむ自分の性癖のほうが怪しいと断じて頤をあげると、
「君に求めすぎてるとは自分でもわかってる。だから、我慢しろって命令されるくらいは覚悟ができてるよ。それに昨日よりは咳が出ないと思うけど、僕も約束できるほど姫香ちゃんのことを把握してないし」
「ミズキさん、いつもそういうこと言うの?」
 私が途中で遮ると、彼はゆっくりと首をふって、
「そういうって、どういう意味?」

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