唐草銀河

「遍愛日記」
3月25日

3月25日 (120)

   マンションのエレベーターのなかで再度メールをチェックした。お茶席なので電源自体を落としていて、終わってすぐ、残月亭写しの広間のお菓子が「春の野」だったと報告メールを打ったのに、返事がきていない。もちろんお仕事だとはわかっていたけれど、あんなに頻繁に来たものが今日に限ってなにもないと、不安になる。
 別れ際にはべつに、変わりはなかったと思う。
 出掛けに、あと十分でも二十分でもふたりきりでいたかったなあと呟いて、今日みたいな日こそ車を用意すべきだよね、と申し訳なさそうな顔をするので、私は首をふってこたえた。ずっと手つないでいけるからいいじゃない?
 言われたほうはくしゃりと笑い、私の手を握ってきた。なにしろ嬉しがらせを言うのは得意なのだ。少しは敵をとったつもりで微笑み返すと、着物姿の姫香ちゃん見せびらかして歩けるからね、とこたえた。それを言うなら逆のような気がしたものの、かっこいいだのハンサムだのと言われるのを実は期待されているみたいだったので慎み深く遠慮した。
 すると今度は耳許に唇をよせて、つぎは僕だけのために着せて見せてね、と囁いた。まあそれはべつにかまわないという気持ちでうなずくと、僕、着付けるの上手だよ、と自慢した。眉を寄せると、着せるのもけっこう楽しいんだよねえと破顔する。あれは、お姐さん方に可愛がられすぎだ。でも……どこをどう締めたら苦しいのか、きつくなるのか、逆にゆるくしても着崩れないのか、彼は上手い着付師さんのようにそういうことを知っているとわかる。
 そうして手をつないで駅への道を歩きながら、こたえたくなければそれでいいと断ったうえで、今までどんなひとと付き合ったの、ときいてみた。彼はちょっと肩をすくめてみせてから、既婚男性と結婚経験有りの女性としか付き合ったことがない、と白状して私を絶句させた。唖然として立ち尽くす私をみて笑いを堪えるような表情で、すれ違うひとがいる歩道でキスしてきた。ただでさえキモノを着て目立つのに何をするのだと怒ると、不倫じゃないんだから、と余裕シャクシャクという顔で目じりをさげた。
 なぜだか、思い出すと切なくなった。
 頬に夕日を感じながら、ため息に流れそうな気持ちをしゃっきりさせようと頭をもたげると、玄関ポーチの柵に寄りかかって外を見る人影が目に入る。
 浅倉くん。
 その瞬間、鍵を握りしめていたのを、あわててバッグに落としこむ。思わず背を向けて引き返そうとして、それは間違っていると叱咤した。逃げて、どうする。
 そう、ここで逃げちゃ駄目だ。絶対に。
 こちらの気配に振り返ろうとする背中へと、なるべく何でもないように、非難がましくないような声で名前を呼んだつもりだった。
「アサクラくん」
 かすれ声に振り返った男は、眩しそうに目を細めた。西日に影になった表情は読みにくい。何を言えばいいのか考えもせず声をかけてしまったと反省する合間に、のんびりとした声がかえる。
「お帰りなさい」
 いつもの調子だった。
「ただいま」
 自然と、口をついてでた。
 そのことで、私は安堵した。だいじょうぶ。ちゃんと、話す。説明する。そう胸うちでくりかえし、私が一歩二歩とすすみでると、彼は足下においたものを取り上げて、右腕をずいと差し出した。一抱えもあるほどの紙包みが、ぶらんと揺れる。
「お世話になりました。これ、土産」
 どうもありがとうとこたえたものの、受け取るのは躊躇われた。
 どうしよう。
 そう思ったとたん、大丈夫と思ったはずなのに、胸のしたあたりが縮こまる。そんなにきつく締め上げたわけでもないのに帯が苦しいと感じていた。喉が急速に狭まっていって息苦しさに喘ぎそうになり、ともかくしっかり立とうと爪先に力をこめた。
 彼は別れたときと同じ格好で、つまりは身体にぴたってした革のライダースとスキニーなジーンズにブーツを合わせた全身黒尽くめのナリに、あのお馴染みの「六花亭」の花柄の紙袋をさげていた。それなのに、他に旅行鞄のようなものは見当たらなかった。
「アイスも入ってるから早く冷蔵庫入れてください。あと六花亭のチョコとトラピストクッキーと、知らない間に色んな土産モノ増えてて、それもいちお、見繕って買ってきました」
 買ってきましたって、それ……。
 私は紙袋に定まっていた瞳をあげて、相手の顔をまじまじと見た。そして、知りたかったことを問う。
「どうやって入ったの?」
「や、ふつうに正面から。帰ってきた人のあとにくっついて」
 そんなことができるんだ……。
 いくらセキュリティしても、こういう身の軽いひとには効果がない。おどおどとすることもなく通り抜け、何食わぬ顔でここまで上ってきたに違いない。犯罪だとも言えず、目を合わせづらくてうつむいた。
 その瞬間、バッグの持ち手を掴まれた。ぎょっとして、あわてて胸元に引き寄せる。表参道のギャラリーで買った布製バッグは東欧風刺繍が入ってて、見た目こそ可愛いものの仕切りがひとつしかないうえに丈夫なつくりとはいえず、お出かけ用だ。こんな風に乱暴にされたらバンブーの持ち手のところが破けそう。
「なにするのっ」
 私が尖った声を出したというのに、浅倉くんは飄々とこたえた。
「鍵とケータイ、だして」
「どういうこと」
 なにを言い出すつもりかわからなくて顔をみて問いただそうとすると、今度は手首を強い力で握られた。それだけで、耳の後ろがざわめいた。
「入れてよ」
 声が熱くて、心臓が鳴っていた。抱きすくめられて、まともに顔を見られずに首をふる。お菓子の箱が、帯の後ろを叩いてがさがさと音をたてて揺れている。自分がどこを見ているのかわからなくて、気を落ち着けようとしてできなくて、言い返す声が不様に震えてみっともない。
「なに、言ってるの」
「意味はわかるだろ」
 わかるだろうって、そんなこと……。


スポンサーサイト



*Edit ▽TB[0]▽CO[0]   

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)