唐草銀河

「遍愛日記」
3月25日

3月25日 (129)

   それにしても、太平楽な顔で眠るオトコの横で思い出すのはミズキさんのことだ。電話もメールもないことが気がかりで、トイレに起きたときに隠れて携帯電話をチェックする。
 やはり、何もない。
 途切れようもなくあることを意識しつづける己を嘲笑い、気分をいれかえるために髪をかきあげた指先に問いがとどく。 
「連絡ない?」
 うちのなかで気配を殺して立たないでよ。
 てっきり寝ていると思ったのに、起き出してドアの前にいた。ということは、何もかもお見通しってわけか。あああ。
「心配?」
 肩にうしろから腕をまわされて、うなずくこともできずにいた。心配というのは、何を意味するのか。たぶん、私と浅倉くんの思うところが違うはずだ。私には、それを説明する気力がないのだった。そうしてため息をひとつ堪えた瞬間、頬に唇が落ちて、そのまま乾いた声が触れた。
「だいじょぶだよ。心配しないでいい。オレが今までそう言って、外れたことないじゃん」
 鼻高々と口にされ、こちらの首がかくりと落ちた。そのままむきだしの腕に軽く歯をたてると、お返しとばかりに耳をぱくりとくわえられた。ガジガジ甘噛みするので私を耳なし芳一にする気かと暴れると、ようやくはなしてつぶやいた。
「オレ……あの頃、あんたに手ださなくてよかったかも」
 首をねじまげて振り返ろうとすると、頭を支えて前に戻された。
「この先ずっと、オレのこと捕まえてて」
 動きを拘束している相手にそう言われる不思議に首をかしげ、それは話が逆じゃないかと考えて、もうひとつの可能性を口にした。
「手に入れたら、期待したほどでもなかった?」
 後ろで苦笑がおきた。
「まだ、手に入れた実感もない。つうかもう、いま腕んなかでおとなしくしてるあんたが信じらんない。これは夢かって感じ。それであんなにされると、オレ、ほんと昔だったらやばかったかも」
「あんなって」
「だから、あんな」
 私が何か致しましたか?
 振り仰ぐと、いつものにやけた笑顔じゃない。思わず、息をつめて見つめ返す。
「……オレのこと、まだ怖い?」
 こわいと言っても、こわくないと言ってもウソになる気がした。
「どうだろうね。もともと自分から恋愛できないほうだしセックス自体が苦手なの」
「ニガテ? 怖いとか嫌じゃなくて?」
 さすが、鋭く突っ込んでくるものだ。
 背中をむけたまま逃げようとすると、腰をしっかり両腕でホールドされた。
「どうやって装ったらいいかわからなくて心許ないの」
 したあとに、こんなことを言われてはもしかしてすごく困るのではないかと気がついたけれど、もう、言ってしまった。
「余裕がないし、自信もないの。もちろん、服を着ているときだってそんなものがあるわけじゃないんだけど、でも、どう振る舞えばいいかっていうことくらい考えるアタマはある。でも、服も着てなくて化粧もしてなくて何にもない自分て、小さくて弱くて醜くて好きじゃない」
 そこまで言ってしまってから、これは、そんなことないよ、と否定して欲しがっているように聞こえはしまいかと焦った。いや、そう言われればそれはそれでもしかすると私は安心するのかもしれないのだけど。本音はそうなのかもしれない。でもそれはさすがに、あまりにもみっともないのではないだろうか。
「それであんな、なの?」
「あんな?」
 すると、頭の横でくすくす笑いがおきた。そうこうする間に、笑いの振動が背中全体に伝わってきた。
「ちょっと、笑うことないじゃない」
「や、でも……なんつうか、いや、それであんなかと思ったら、すげーアレだなあって」
 なんだその、指示代名詞の連続は。
 むっとして振り返ると、今度はやけに、やにさがった笑みを浮かべていた。調子にのっている顔だ。説明しろと言いたくなったけれど、やめた。この顔のときはろくなことを言い出さないと思い知ったところだ。
 すると、浅倉くんは笑いやめて真顔になり、
「オレ、寝たくらいであんたのこと手に入れたとも理解したとも思わないよ。そんなに人間、単純じゃないっしょ」
 そう、いつもの調子で告げた。まっとうな意見をありがとう、と皮肉っぽく返したくなった。これだから、やりにくいのだ。いや、やりにくいわけでもないのかもしれないが。
 そして、考え込むこちらの頭に自分の頭を乗せるようにすり寄せて、
「あんたなら、オレ、だいじょうぶ」
と囁く。私の逡巡をみないふりをしたからには、遠慮なく問う。
「なにが」
「なんでも」
 ぐりぐりと頤の骨が頭蓋骨に擦れた。なんでもってなんだ。問い詰めようかどうか迷った時点で負けている。髪が乱れて頬にかかりくすぐったくて払いのけようとした手をつかまれた。
「この手でオレのこと引き回して。撫でて、やさしくして」
 耳許で後ろから乞われた。なんだか矛盾があるような気もしたし、よくわからないと思ってもいたけれど、どうやら全部本気で願っているらしいことは理解できた。
 せっかくご要望通りに頬のひとつも優しく愛撫してあげようなどと思っていたのに、もうさっそく何に感じ入ったものか手首をつかんで持ち上げ指をくわえて歯をたてている。思わずついたため息に、浅倉くんは私の手をおろし、おへその上で両手を組み合わせて口にした。
「オレ、そんなにあんたのこと見誤ってるつもりはないんだよね。妙な幻想もってるって言うけどさ、たぶんそれ、オレのほうが正しいよ」
 そうかなあと反論とすると、私の身体を左右に揺らして怒った。
「ったくもう、ほめれば見下してくるし貶せば怒るし、ほんとのこと言うと信じないし、どうして欲しいの?」

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