唐草銀河

「遍愛日記」
3月25日

3月25日 (132)

   放課後の物理準備室で、かわいいと何度も囁かれてキスをした。主観というのはスゴイものだと感心した。私をこの世でいちばんかわいいと言える男の子がいることが薄気味悪くて、その滑稽さも含めてきっと、気持ちよかった。大事にしたいからと言われてそれ以上はしなくて、その前に付き合っていたカレがすぐに身体に触りたがりセックスを断ったらふられたようなものなので、私はきっとうれしかったはずだ。
 彼はまさしくロマンティックラブの推奨者で、この世でただ一人のひとと恋愛してセックスして結婚するのが幸福だと信じていて、それなのに自分は高二のときに別の女の子としたと、ひどく悔いていた。自慢されたのだと思えば気にもならなかったけれど、純潔やら貞淑やらを望まれていることに気が重かった。それって自信のなさのせいじゃないのかと穿ったことを考えて、そう言ってしまった。結果はかくの如し。
 一度だけ、その前カノに会ったことがある。彼の家に遊びにいく途中、駅でニアミスした。なんでその子なのと思っているのがきつい傾斜を描く眉のあたりに見て取れた。気は強そうだったけど、クラスで一番可愛いと言われてそうな子だ。あのくらい自分の容貌に自信があれば、不機嫌さもあらわにできるのだと羨ましい気もした。カッコイイ先輩と仲良くなって噂が立ち、わざわざ教室に顔を見に来られ、陰口を囁かれて頬を熱くしてうつむくこともないだろう。
 そんな忘れたくとも忘れられない出来事を思い出しながら、足早に去る後姿に目をやった。私立の女子高らしい洒落たチェックのスカートが、怒りと安堵と失望に揺れていた。ひどく申し訳ない気分になって、幼馴染の率直さのほうを大事にすればよかったのに、とガラスの向こうの瞳を見あげたはずだ。
 恋人同士の甘い将来の約束を、私はただ冷静に聞いていた。否定するほどバカじゃない。でも、うっとり耳を傾けてうなずくほどの演技力は持ち合わせていなかった。
「まあ、オレのほうがひどいか。あの頃はほんと、やれればいいって思ってたし」
 そこで私の顔をうかがい見たので。
「それ、私にサイテーって怒って欲しいの?」
「うん、そう」
 呆れて吐息になりそうなところを抑え込み、自分の言えることを言った。
「浅倉くん、話しやすいから女の子の失恋相談よく受けてたじゃない。相談に乗ってるうちにってパターン?」
 そういえば、お姉さんと一緒に遊びに来ていたお友達は綺麗で可愛らしい感じのひとで、そのひとと話すアサクラ君はちょっとぶっきらぼうな口調になり、彼女をけっして正面から見ようとしなかった。大学時代しか知らないけど、彼の横にいたのはいつもあのタイプだったような気がする。ほんとはああいう感じが好みなんだろうなあ。
「や、パターンはそうなんすけど……オレにも下心はあったっつうか」
「それは、お互い様だからいいんじゃないの? 女の子ってそんなにバカじゃないよ。あの来須ちゃんにだらしないって叱られてもやめないでいたんだから、けっこう本気で」
「あんたに、見せつけたかったんだよ」
 強い声で遮られて呆然とすると、彼は自分でも驚いた顔をして、髪を揺すった。
「ごめん……やばいよオレ、一生愚痴と恨み言いってたらどうしよう……」
 それは、やだなあ。というか、なんでそんなに男って過去を引きずるの? それに、そんなふうに女の子と付き合う男はやっぱり最低なんですけど。
 まあ、口で言ってるだけで、私の知る限り綺麗に別れて揉めてないんだから、ただ恨み言をいいたいだけだとも、わかってる。
 さっきも、オレが中庭のベンチで待ってたの知ってて意識してたよね、あれ時々わざとすっぽかしたでしょ、などと訊かれまくり、散々な目にあわされたのだ。選択を誤ったかと思ってしまうじゃないか。
「オレ……あんたがセックスしたくないなら、無理にしないよ」
 誰もしたくないなんて言ってないよ。
 それに、そもそも無理にってどういう意味だ。そんなのは当たり前だよ。無理にしたらレイプだって。
 問いつめていじめようかと思って、やめた。
「私は、浅倉くんとしたいけど?」
 首をかしげて言い放つと、また固まった。
「……なんで、そういうこと言うかなあ」
 すぐさま覆いかぶさってくるかと思うと、彼は低い声でつぶやくだけだった。自分がひどく場違いな発言をしたような気がして身を凝らせていると、彼が苦笑した。それから、掠れ声がこめかみに触れた。
「何がそんなに、罪悪感のもとになってるんだろうね」
 あいかわらず鋭い。そう感じていると、
「じゃあ、その男のかわりにオレのこといっぱい虐めて仕返ししていいよ」
「は?」
「ハイヒールで踏んだりしてよ」
 うろたえて身体を引くと、耳の横で笑われた。からかわれたのだと気がついて怒り声をあげると、頤をとらえて口付けされた。振り仰ぐ姿勢が苦しくて頭をふって逃れようとすると、唇の横で懇願する。オレのこと、縛って。
「浅倉くん?」
 向き合って見あげると、彼は眉をさげて笑った。
「ほんとに、そういう趣味嗜好のひとなの?」
「や、たぶん違うけど」
「たぶんって……」
「あんたにされると思うとなんだかドキドキするなあって」
 いつもの顔で言ってのけた。瞬きをくりかえして見あげると、さっき、長いヒモあったよね、ときいてきた。腰紐のことだと気がついて、本気なのかと首をかしげる。
 それから初体験の告白が尾をひいているのだと察し、もう二十年近く前のことだよ、と言おうとしたところで宣言された。
「オレ、あんたとやれることはどんなことでもしたい。もっと言うと、あんたが他の男としたことは全部しないと気がすまないし、してないことがあったらそれも何でもしたいんだけど」
 な、なに言ってるの。なにをいきなり。っていうか、そんな堂々と言わなくても。
「まあでも、あんたがオレにそう簡単に口割ると思えないし、嫌なこともたくさんあるだろうし、だからまあ、オレの願望は全部叶わないってわかってるけど、とりあえず、あんたが嫌じゃなきゃ縛ってみてよ。それはしたことないでしょ?」
 なんでかだんだん目を吊り上げて、ちょっと怒ったような、焦った口調になっていた。勢いに押されてうなずくと、目の前の男は、あ、やっぱそれはなかったんだ、とほっと肩を落として笑い、じゃあヒモ出してよ、とお願いした。
 ああもう、なんだかなあ。

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