唐草銀河

「遍愛日記」
3月25日

3月25日 (141)

  「みんな、してるの?」
「あんたの周りはしてなさそうだよね」
「そうね。ヴィクトリア朝的潔癖主義とまではいかないけど、女友達とも実は、話さない。ていうか、話がでないわけじゃないけど、けっきょく本音じゃないんだよね」
「で、本音でいうと?」
 ここまで促されて今さら取り繕うのもなんだと思う。
「小説とかドラマにあるみたいに、私にはどうしても、愛情を確認するためにひとつになる行為だとは思えないんだよね」
 眉根がつくほどに寄せられていた。
 好きだから、したんだろうけど。ふたりして、とりあえずしとかないとなんだか証拠がないみたいに思ってなかっただろうか。
「インターコース自体が文字通り異物の挿入だし、触られればそこが自分の肌で、触れてくるのが相手の指だってことを思い知らされる。いちばん近い距離にいるはずなのに、どこまでも分離された存在だって確認する作業のような気がする」
 フィクションで読むかぎり、それはすごく神秘的で途方もない至福を味わえるもので運命を決するほどの力があり、たいてい重要なエピソードとしてとりあげられている。
 だから、何も知らなかった頃は、セックスすれば問題が解決するのかと思っていた。その後、だんだん大人になるにつけ、どうやらそれは甚だしい誤解なのだと気がついた。
 さすがに期待しすぎだと冷静になったとして、わかりやすい快楽を分け合うだけのことだと思い定めると、でも、今度は相手がちゃんと満足しているのか不安になる。同じように、自分も満たされているかをきちんと把握しようとすると、頭がふたつの化け物になってしまいそうになる。
「こんな年になってまだ、自分が子供だと思ってるような人間がセックスすること自体がなんか、間違ってるかもね」
 顔をあげると、浅倉くんは私をじっと見つめていた。ちゃんとした感情が読み取れるような表情はうかんでいない。あえて言えば、諦観に見えた。そしておそらく、いつもの仕種で頭をかこうとしたらしいのだけど手が不自由で、いで、と言った。私はそれを笑い、ずっと、思い続けていたことを口にした。
「セックスすると、なんだかどんどん相手が遠くなるような気がする」
 どうしてか、いつもそう思う。
 相手はたいてい満足そうな顔をするので救われるけど、たまに、どうしてほしいとか問われて自分勝手に振舞われないと、ほんとにどうしたらいいかわからなくなる。ひたすら客体であったほうがいいと思ってそれに徹してしまう。ひどく受身なのだ。
「私のことが好きで堪らないっていう男のひとだって、ベッドの上でまで私を崇拝し続けることがないもの。そういう風に扱われるときもあるけど、それもそのひとの幻想だよね。そうじゃなくても、たいてい相手の好きなパターンだかシチュエーションだかに押し込もうとするし。まあべつにいいんだけど」
「や、それ、よくないんじゃ……」
「うん。さすがに少しは賢くなって、やなことは早めに言うようにしようって決めた」
 威嚇するつもりで微笑んだのに、彼は怯まなかった。かわりに、いかにもいたわるような瞳で見守られた。仕方がない。 
「女が自分の欲望を語るのに抵抗があるっていうんじゃないの。それによって男が引くから言いたくないっていうんでもなくて、引くなら引けば、くらいに思ってるくせに、私に、とくにどうしたいっていう希望がないのよ。あればいいんだけど」
 あれば、いくらでも相手に迫ってやると挑戦的に思うことすらあるのに、どうにも考えが浮かばない。
「ほんとにないの?」
 訝しげに顔を顰められた。こういうときこそ、なんでもやらせていただきます、やりたいですといやらしい顔で喜べばいいのに、浅倉くんはそうしない。騙されておけばいいのに。そしたら何か刺激的で楽しそうなことのひとつも言ってあげようかと思っているのに、生真面目に問いただす。
 ホントウは、希望はある。それさえ守れればよかったという恐ろしい願望が。
 でもそれは、もう叶わない。
 我ながら、まさに自嘲だと思う笑みがこぼれそうになり、あわてて髪をかきあげてごまかしたとたん、ミズキさんのことが頭をよぎった。あのひとも、奇妙にロマンティックな、いや、ロマネスクな幻想を保持していたと思う。
「センパイ?」
 かるく頭を揺する。今は忘れろ。
 否、けっきょく、そこに問題の根があるわけだ。
 私の部屋のチェストのうえのヴェルヴェットの小箱はともかく、一輪挿しとローテーブルの薔薇は目につく。自分で買うような量じゃない。ミズキさんはお行儀がよくて、歯ブラシや何かをここに置いていくような真似をしなかった。でも、ここで何があったかは一目瞭然だろう。
 彼が不安なのは、臆病になるのは、ひどく焦ったのは、私がミズキさんと寝たせいだ。
 浅倉くんは、私が最初のみっともない経験のせいで緊張していたわけじゃないってわかってる。もちろんそれもある。初めてのときはいつもすごくこわい。けど、本当に私がイヤだとも言えなくて、かといって抗いもせず、ただ身体の力を抜こうと努力してできないでいた理由は、ミズキさんとの関係にある。
 罪悪感にとらわれて、身動きができなくなっていた。
 途中で、もう浅倉くんにだけ集中すればいいのだと、自分のすぐちかくでやたら切なそうな顔をしているひとを楽にすればいいのだと、そう考え直した。だいじょうぶだと言った浅倉くんを信じることにして、ようやく緊張が解けた。
 罪だと思うと快楽が増すとかいう官能小説向きの刺激は私に限っては無効だと、色気のない小心者の自分を嘲笑った。
 そう、私は本当に弱虫で、この世にそうはいないくらいの臆病者なのだ。
「……一生に、ひとりのひととしかセックスしないですむわけにはいかないことが、自分の誤算というか誤謬なのよ」
 浅倉くんが、目を丸くしていた。その顔に笑いかけて、続けた。
「なんで自分からふったことがないのかは、自分が、ふられたくなかったからでしょ。無言の圧力をかけてただけ」
「え」
「たったひとりのひとを愛して、私自身が犬のように疑うこともなく、死ぬまでそのひとを大事にしたいから。同じようにして欲しいから。でも、現実はそうじゃなかった」


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