唐草銀河

「遍愛日記」
3月17日

3月17日 (13)

   私は湯気のぬくみを鼻先に感じる楽しみを放棄して首を横にふった。
「知らない。女のくせに生意気だって思ってただけでしょ。それに、もしそうだとしても、どうでもいいかな」
「どうでもいい?」
「だって私、事実として忘れてたし」
「冷たいね」
 ぴしりと、詰るというほどの棘はなく、ミズキさんの声が頬に触れた。せっかく甘くて美味しいものを飲んでいた雰囲気がなくなったことに、そのことのほうに苛立ちがあった。相手の過失とはいえ、そして私自身が愚かだとは認めても、怪我をさせられた被害者の自分が責められるいわれはない。そういう私の気持ちに気がつかなかったような顔で、彼が続けた。
「好きな子を守ろうとして間違って突き落とした挙句に怪我させて、それで何にもなかったように庇われてすっかり忘れられたんじゃ、僕なら救われないなあ」
 おどけた調子で口にしたのは、冷たいと口にした本音をごまかすために思えた。それでも私が沈黙をたもっていると、ふと思いついた顔でつぶやいた。 
「ほんとか嘘か知らないけど、投身自殺って恋愛沙汰のことが多いらしいよ」
「恋に落ちるっていうくらいだから?」
 まったく他人事だと思いつつ質問を返すと、さあねと首をひねりながら、ミズキさんはもう、自分の考えに夢中になっているようだった。初恋のひとでも思い浮かべているのかもしれないと勝手に想像しながら喉を鳴らして二口飲んだ。ぬるくなったせいか、口のなかでべたりとした。口裏に、いつまでも残るような甘みがあった。うまく混ざってなくて底に沈殿していたのかもしれない。
「なんか姫香ちゃんて、いちいち僕のツボだなあ」
「はい?」
「僕、ひとの才能が好きなんだよね。姫香ちゃん、絵のとおりだもんね」
「絵のとおりって?」
「そのままの意味だよ」
 見つめあって、彼がそれ以上説明する気がないとため息をついた。女同士で話しているようなつもりでいると間違ってしまう。
「浅倉くんの、どこが好きなの?」
 どうせだから、考えることもはしたないと自分を戒めてきた不躾な問いを発してみた。すると、ミズキさんは妙に艶っぽい流し目をくれた。
「それ、聞いてどうするつもり?」
「ただの下種な好奇心ですが」
 言い訳ではなく本心のつもりだったのに、彼は何かを期待しているように見えた。
「姫香ちゃんて基本的に無防備だよね」
 この年まで生きてきて無防備ってことはないだろうと反論しようとしてやめて、かわりに本意を尋ねた。
「それ、女として魅力がないってこと?」
「そんなに自信がないはずないでしょう」
「生憎ふられたばかりでしてね」
「君は、すごく魅力的だよ」
 苦笑でそうこたえられて、いらぬお世辞を要求してしまったかと反省した。こういう粗忽さを無防備だというのなら納得する。
「君につくりがないっていうと言い過ぎかもしれないけど、そのかわり、自分のいちばん感じるところで何もかも味合わないと損だって思ってる。そういう、貪欲なところが浅倉には見当たらなかったんだよね。ついこないだ、姫香ちゃんが現れるまでは」
 ミズキさんはさらりと前髪を指ですいた。そのまま、こちらを無言で見つめてきた。うあ、居心地わる!
「姫香ちゃん、どうして結婚しようと思ったの?」
「もう破談になったわよ」
 ふくれて口にしたのに、彼はわざとのようにくりかえした。
「その前まではしようと思ってたんでしょ? 浅倉に告白されて、よろめいたりしなかった?」
 ヨロメキって、三島じゃないんだから。
「僕だったら考えちゃうなあ」
 こちらの顔色をうかがうようにして続けた。
「学生時代からずっと自分のこと想い続けてくれたなんて。そういうのって女冥利につきるんじゃない?」
「ミズキさん」
 私の声が震えたことで、彼は目を伏せた。
「僕は大学やめるくらい好きだったくせに、今は、なにをおいても彼女の窮地を救いたいって気持ちでは動けないんだよ。彼女が不幸なままなのは辛い気がするくせに、自分が泥をかぶるのは真っ平だとも感じてる。かといって無視もできない。けっきょく、弁護士紹介するって言っちゃったよ。そんなこと言われたかったわけじゃないってわかってたけど、他に好きなひとがいるからって口にするよりマシなような気がしたんだよね。どう思う?」
 そのひとがどう思うかは、わからなかった。それが正しい選択だったのかも。でも。
「そこまでイエスかノーかはっきりさせないでも、とりあえず、そのときだけでも優しくして欲しかったっていうこともあったんじゃないかなって……」
 叱られるかと思ったけど、ミズキさんは微笑んでいた。
「君は、そうなの?」
「そうっていうか、だいていのひとは、相手が自分に気があるかどうか基本的にはわかると思うのね。んと、気があるだと大袈裟か。その、好悪の感情の有無、くらいは感じ取れるでしょう? そのひともとりあえず、自分の自尊心を満たしてくれる程度に優しくしてくれる相手がいればそれでいいってこともあるんじゃないかなって。ずるいようだけど、ずるいっていうか割り切りすぎかもしれないけど」
「それで僕、姫香ちゃんの自尊心を満たすことはできてる?」
 は? と口を開けたまま、相手をみた。ミズキさんの顔が思ったより近くにあった。
「優しくしてるつもりだけど」
 心臓が鳴った。やだ。このドキドキはいらない。
「姫香ちゃんは、かわいいね」
 その言い方は気に入らなかった。むっとしたのに気がついたらしく、彼が片頬で笑った。
「浅倉のどこが魅力なのか、君には教えないよ」


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