唐草銀河

「遍愛日記」
審判の日 未告知

審判の日 未告知 (160)

   ここにいたいと望む気持ちは、たしかにある。けれどそれは、自覚した瞬間に、あの罪悪感という苦悶に道を譲る。見ないようにしてきた分、浅倉くんが怪我をした今、背中に重石を乗せられる痛みを伴って現実化した。
 私が悪い。何もかも、ちゃんと出来なかった自分が悪い。
 涙の筋を丸めた指の背でぬぐい、頬を掌でそうっと撫でて両腕をからだに添わせるようにして抱きしめる。自分で自分を叩きたくなるときは余計に優しく触れる。いまここで自身を痛めつけてもしょうがない。私は冷静だ。だいじょうぶ。考える力がある限り、だいじょうぶ。
 だから。
 動けないなら、考えろ。
 まずは六本木に行くことだ。仕事の邪魔かどうかは、行ってから確かめる。
 ミズキさんの話しを聴くこと。私に言うことがあるはずだ。
 顔も見たくないと思っていても、そうは言えないだろう。彼の気位の高さに付け入るようで悪いけど、この際、無視して追い払われないことを喜ぼう。
 あ……膝の震えがおさまった。そろそろと床に足をつけ、右手をベッドヘッドにかけて立ち上がる。立ち眩みもしない。
 六本木まで、どれくらいかかるだろう。私が到着する頃に浅倉くんがいるかどうか、わからない。
 いや、ミズキさんの話を聞くつもりなら、いないときを見計らって行くべきだ。こわいけど、そうじゃなきゃ、ダメだ。
 そうじゃなきゃ、一生、後悔する。
 約束を破ったことをどう謝ればいいのか、私にはわからない。それよりも何よりも、ミズキさんが今、どうしているのかと思うとそれが心配だった。
 ああ、なんだ。私、やっぱりこんなになっても彼のことが心配なのだと、笑いそうになった。怪我をした浅倉くんより、怪我をさせたミズキさんのほうが心配なのだから、そして、ひとに怪我をさせるってどんなことだろうと、目に見える傷をつけるってどんなに恐ろしいことだろうと考えて、それがどうにもこうにも他人事としか、絵空事としかとらえられなくて、どうやっても理解できなくて、早くミズキさんに会わないとならないと、ヘンに焦っていた。
 どちらにしても、きちんとした格好で行ったほうがいい。彼らはもう仕事中で、そこに分け入るのだから。いいかげんな服装はダメだ。心配で慌てて駆けつけたって態度では、ただでさえナーヴァスなミズキさんの不興を煽るだけだ。私は落ち着いていると、そういう意思表示をしたほうがいい。
 潔斎して、自分が似合うものをちゃんと身につけた完全武装で行こうと決めた。
 そうして熱いシャワーを浴びたら、だいぶ気持ちが落ち着いた。それからトーストを焼いて昨日の残りの卵スープを温め二杯目の蜂蜜入りのミルクティーを飲む頃には逆に、すこし怖気ていた。座ってモノをお腹におさめたら、勢いがなくなったらしい。真実冷静になったともいえて、このままここで浅倉くんが帰ってくるのを待てばすべて決着がつくだろうかと夢想した。
 あの調子ならきっと、彼らの間では何らかの決着をみたのだろう。みたというか、先に手を出したのがミズキさんであるなら、そしてそうやって怪我をしたのが浅倉くんであるならば、ミズキさんはこれ以上なにも動けないはずだ。とすれば、私は彼からもらった指輪を返せばいいだけのことなのかもしれない。
 彼らの仕事の件も、たぶん、ミズキさんは何らかの工作をし、または予防線を張っていると思えた。
 そうなのだとしたら、浅倉くんの言うとおり、ここでおとなしく待っていればいいのだろうか。浅倉くんがここへ再び戻ってくるまで。そうしてもう一度抱き合えば、それですむことなのか。
 ミズキさんが私に対して線を引くのは当然として、いまは無理でも時が経てば、誰も彼もにするように優しく紳士的に接してくれるようになるのかもしれない。否、そうなれないようなら彼らしくないと、そのくらいのことは思っているに違いない。さきほどの声の様子では、彼はそう決めていると感じた。
 ならば、私はそれに耐えられるだろうか。私も、同じように笑って話しかけることができるだろうか。
 そうやって山ほどシミュレーションして、どれもこれも不出来で不満だった。不満というより、切なかった。ミズキさんが孤独をかこつことを、私は恐れるように予感していた。それに、彼に尋ねたいこともあった。あんなにメールや電話をくれたのに、昨日に限って何も寄越してこなかった。どんなに忙しくても、トイレに立つ時間があればメールできると彼はいつも言っていた。それなのにどうして昨日に限って連絡してこなかったのか。浅倉くんの帰京を知らなかったのだとしても、メールの返事くらいきてもおかしくない。
 無視された。
 私はそう感じていた。いちばん傍にいて欲しかったときに手を離された。そう、思った。
 そして。
 浅倉くんは笑って帰ってくるだろう。自分が足を滑らしたと言い張って、私に何も質問させないに違いない。少なくとも、言わせたくないというそぶりをするだろう。それを見て私は、彼にそれ以上のことを詰問できる気がしない。抱きしめられて考えないでと耳許で繰り返されたら、私はそれに甘えるだろう。甘えて、一時は忘れることもできる。
 でも、ひとりになったとたん、私はそのことを思い出す。絶対に、考える。考えずにはいられない。
 浅倉くんにすべて任せて、このあとの人生、負い目を持ち続けていくのに耐えられるだろうか。そんなふうにこの私が生きていけるのかしら。できるかもしれない。もしかすると。彼に優しくされて、あんなふうに好きだと繰り返されれば忘れていられるのかもしれない。
 でも、本当だろうか。
 彼に怪我させたのは私のせいだ。しかもお互い、友達を裏切らせた。私がミズキさんにサヨナラを言わないで浅倉くんと寝てしまったことがまずもって、問題なんだから。
 流された私が悪い。痛い目をみたくなくて、逃げた私が悪い。
 ある意味、自分の意のままにならない他人のせいにするより、まだどうにかなるはずの自分が悪いと思うほうが気楽なのだと知っていて、でも、この場合ほんとうに私が悪いと考えてひとりで吹き出した。
 悪者で、上等じゃないか。
 そう思ったとたん気合が入り、勝ちに行くときの香水壜を手に取った。
 ヌメ感のあるシャンパンゴールドのコートドレスを着こなすにはやや肌に生気がかけていると感じたけれど、すこし濃いめにチークをいれてパウダーをはたくとさほどでもなくなった。髪をあげ、衿をたてて、首のしたに母から譲られた真珠の連をいれる。顔映りが格段によくなるマジックアイテムだ。
 素足よりふた色深いフレンチベージュの目の細かい網タイツに、先日手に入れたばかりのレッドソールも艶やかな、それでいてカットワークだけが特徴の飾りのないパンプスを選ぶ。金の鎖の持ち手がついたクラシックな黒革バッグを持ち、防寒用に黒にゴールドのラメを散らしたストールを腕にひっかけて玄関先の等身大の鏡にうつる自分を見て、ルージュの色が合わないと感じた。
 弱すぎる。
 乗る予定の電車の時間を思い出しながら時計を見た。塗りなおすかと、踵を返したところでインターホンが鳴った。
「深町姫香様ですね。時任獏様からのご推薦で、お迎えにあがりました」
 ウソ。
 少年の声だった。キッチンに戻り、インターホンを操作して外を見る。
 そこに、天使が三人、立っていた。
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