唐草銀河

「遍愛日記」
審判の日 未告知

審判の日 未告知 (162)

  「その話はまたの機会にさせていただきたく存じます。色々と不測の事態が生じておりまして。今日のところはこれで」
 その言葉が終わると同時に、ガブリエル、と巻き毛の少年天使をさして口にした。呼ばれたほうはおずおずと私を見た。
「恐れ入りますが、お選びいただけますか?」
 なにを選ぶのかはすぐにわかったけれど、このどう見ても下っ端ちゃんが、いかにも上司っぽいひとたちの履物を自由にする権利があるのだろうか。それに、ガブリエルといういかにもな名前に笑いそうになるのを堪えるのに苦労した。しかも、そんな私の表情を、この綺麗な天使がまるで恋焦がれたひとを目の前にするような顔つきで熱心に見つめて返してくるのだから不思議で仕方ない。
「ありがとう。でも、サイズが合わないから」
 二十二半では、この高身長の天使たちの履物があうはずはない。
「新しく作ってお届けします」
「でも、そんな」
 親切なのか、この靴が交渉に必要なのか、よくわからない。だいたい私はその靴を受け取ってどうするのだろう。 
 なんとはなく、助けを求めるように白衣の天使を見あげた。
「ニンゲンは難しいですね」
 彼はそう言ってこちらを見た。彼、としか思えなかった。彼はそれから若い天使にむかってやさしく言い聞かせた。
「意識の表層にうかぶ言葉だけ拾ってもだめなのです。まして口をついて出た言葉だけ聞いてもいけない。己でさえ、やすやすと偽ることができる存在だから」
 それを聞きながら金髪の天使が私の横顔をじっと見つめていた。その透き通った水色の双眸にしずかな、それでいて飢えにも似た尽きぬ驚きが満ちているようだった。なんど目の前にしても信じられぬ、という気持ちに見えた。
 巻き毛の少年天使は私のほうを向いた。びっくりするくらい美しい緑色の瞳だった。
「ご不要ですか?」
「えっと……その」
 そのエメラルドのような輝きに気圧されて、いちばん年嵩の茶髪天使の靴を自分用に作ってもらうと約束した。
 一目で惚れこんだのは、あれが《春》の絵にあるのとそっくりだからだ。花咲き乱れる大地を踏む、ヴェヌスの足をつつむあの細い紐だけの華奢なつくりのサンダルに子供の頃から憧れていた。
「では、ご健闘をお祈り申し上げます」
 金髪の天使がそう口にした。探し物の件でなく、これから出かける用件のことだと察してなぜか頬が火照った。
「それではまた」
 そう言って白衣の天使が悠々と微笑んだので、私は思わず口をひらく。
「名乗ってから出て行くくらいの礼儀があってしかるべきじゃない?」
「非礼なのは百も承知です」
 私が眉をひそめると、彼はそのまま横をむいて吐息をつく。妙に人間くさいその仕種には、こちらに罪悪感を抱かせるに十分な迫力さえあった。つまり、私は用心しながらもすでにして彼らを受け入れていた。その姿形の美しさゆえに。
「本来でしたら昨日のうちに貴女にお会いして契約しなればいけなかったのです。我々は遅れに遅れています。間に合わないかもしれない。だからこそ、わたしは貴女と契約を交わさないでおきたいのです」
「どういうこと」
「それは、今はまだ申し上げるわけにはいきません」
「もったいぶるわね」
「こちらにも、色々と計算があるのですよ」
 伏せた瞳で口にされ、私は肩をすくめた。おかしかった。何故かわからないけど、ここは笑うところだと思えた。
「貴女には、期待しています」
 笑いかけた私の顔を凍らせたのはガブリエルと呼ばれた少年天使の真摯な声で、凝視する勢いでその顔を見たのに、返ってきたのはほとんど陶酔と呼びたいほどの憧憬のまなざしだった。
 私はそのとき突如として疑いをもった。
 獏が、もしかすると私を騙したのではないかと。騙したというか、言わないことがあったのではないかと。
 どうしてそんなことを思ったのかわからない。でも、獏は私に本当に大事なことを話さなかったのではないかと考えた。友達を疑うなんて酷いはなしだけど、でも、彼女は私に言っていないことがあると、隠したことがあると気がついた。もちろん、言えないはなしだと口にしたのは覚えてる。でも、そうじゃなくて、何かを彼女は知っていて、それを私に伝えなかったと勘付いた。
 その疑いは喉許から胃の腑へ落ち、どこか知らない場所へと納まった。取り戻せないところへと入り込み、縮こまり、何事もなかったような顔で臓器と一緒になって押し黙ってしまっている。こうなってはもう、それはどうにもならない。しかも、相手は異世界にいるのだから問いただすこともできない。なんてことだ。
 私の沈黙に、三人の天使はお行儀よく口を噤んだままでいた。それがまた、まさに獏の裏切りに思えてしまったのも事実だ。
 隠し事は、裏切りとは言わないかもしれないけれど。
 私は頭をふって被害者じみた疑念を遠くへ押しやろうと考えた。今は忘れろ。
 そうして天使たちに視線をむけると、彼らは無言で頭をさげた。辞去の挨拶だ。 
 ドアが閉まり、天使たちが帰ってから気がついたけれど、もしかして私、靴ひとつで買収されちゃったんじゃないだろうか? 自分の命、売ってしまった?
 時計を見た。
 ウソ。
 一分と、経ってないじゃないか。
「なに……どういう、こと?」
 夢を、見てたの? 立ったまま?
 そう、じゃないか。考えると頭のなかに疑問符ばかりになったけれど、でもまあ。
 もういいや。今は、いい。
 とりあえず、出かけなきゃ。思わぬ邪魔が入ったせいで、でも、おかげで頭がクリアーになった気がした。
 もう、さきほどの怒りはない。失望もない。なにか別のものに捕らわれた気もするけれど、かえって気持ちは落ち着いた。
 私は、この世界から旅立つらしい。

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