唐草銀河

「遍愛日記」
3月22日

3月22日 (23)

  「私は特になんにもしなかったよ。あの前の年に施設管理局員だった龍村くんと夏季留学中に仲良くなって、あれはなんかオカシイよねって話して、じゃあヤルかって言っただけ。どうやってやるかは戦略家の彼が練ってくれたし、浅倉くんもよくやってくれて、おまけに編集局の来須ちゃんがクノイチみたいに各部の情報収集してくれたから」
 くのいちのところで、浅倉くんが派手に噎せて胸をたたいた。さっきのお返しじゃないけど、私はお水をもらってあげた。
「センパイ、クノイチはおかしすぎるって」
「でも、施設管理局員じゃなかったから本音を聞きだしてもらえて助かったんだよ」
「うわ、諜報戦だったんだ。そういや龍村さん、クラウゼヴィッツとか読んでましたよね」
「ああ、読んでたねえ。彼、ナポレオンおたくだったみたいよ?」
「それは知らないすけど。でも、なんのかんのいってセンパイがやるって言ったから、オレたちやれたっつうか」
「言うのはかんたん、誰でも言えるよ」
 鼻であしらおうとすると、彼が生真面目な顔でいい返した。
「言うとやらないとならないから誰も言わなかったのを、センパイがやったんじゃん。大人こそが善を為すべきじゃないかって、龍村さんに言ったんだよね」
「まあ、そうだけど……」
 しかし、いま聞くと赤面モノだね。齢二十歳だ。認めたくないものだな、と某アニメの赤いヒトのように呟きたくなる。
 施設管理局のご意見番であるエスプリ大王の龍村くんを絶句させることができたのは、あれが最初で最後だった。お互いマキャヴェリストを標榜していたものの、彼はちゃんと実践家だった。それでも、なにごとも斜に構える癖のある十二分に大人ぶった彼には、ショックだったのかもしれない。
 そして、私はほんとうに顔を赤くしていたのだろう。浅倉くんがすっと目を細めた。ち、笑われたじゃないか。
「かっこいいってマジに思ってたんだよね」
 褒め殺しですか。膝の上にあるナプキンなど、弄ってしまいそうになるじゃないか。
 正しいことをやると口にするのは、ほんとは簡単じゃない。物凄く難しい。己の善を信じて押し通せば勘違いなはた迷惑で、間違っていると非難すれば自身でそう思っていたくせに反撥したくなるのが人間だ。かといって理想論として夢見るようにつぶやいていては賛同者は得られてもひとは動かない。
 いつも、どうやって伝えればいいか考える。
 私は、そうすることが当然だと思ってきたし、苦ではなかった。でも、今の私は、やると言わせてもらうことさえできない場合のほうが多いと知っている。
 さいしょに勤めた会社で「ガラスの天井」というのを仰ぎ見た。百五十五センチもない身長でそんなものを感じるとは思ってもみなかった。優秀な女性社員より、どう見てもそれ以下の男のほうが早く出世した。女が出世する見込みがないというわけでもないのがミソだった。歴然と差がない限りは無視された。まあ世の中そんなものさ、と平然と過ごした。仕事一筋で頑張るなら腹も立っただったろうけれど、どこかで結婚して子供を生んでパートでもして生きてくつもりでいた。
 それから、デフレ不況まっしぐらのなか会社の吸収合併で所属部署ひとつ丸々とばされた。男女同名ブランドとして発表したライン、そのメンズ部門の売上不振が名目だった。とばっちりを食らって好調なレディスの企画自体が消えるのは真っ平だと秘書室と経営企画室の先輩二人に泣きついた。まあ無理だね、と彼らはこたえた。あれは政治だよ。営業成績じゃないんですか、と問うと笑われた。利益だけで会社は回ってない。粛清っていう見せしめだ――なるほど、犠牲の子羊は必要だ。会社員として自分が歯車だと思い知るのは悪くない。
 新社長のお手並み拝見とふんぞりかえるはずが異動先はあまりに勝手が違い、私はうまく立ち回れずに、さらにはセクハラの嵐にあった。結婚しないのかという無垢な善意と巧妙な悪意の双方に疲れきり、ひどいマリッジブルーに陥った。それと同時に両親がたてつづけに入院するという非常事態も重なって、ごたごたの内に結婚話も流れた。私は体調を崩して会社を辞めた。
 その後、私が「やる」と言ったのはつい最近、絵をかくというワタクシゴトだけ。次の勤めでは何も、先頭きってはしなかった。あらためて考えると情けない。やれることもあったはずなのに、しなかった。社長である元カレが奥さんとよりを戻すのも致し方ないかと、妙なふうに納得した。
 それにしても、会社の規模も業種も違うのに、この年まで同じ会社に勤めていられた女友達が片手もいないことに、あらためて驚いてしまう。結婚しても出産しても働いてはいるのだ。でも、社内恋愛の場合は女性がやめていく。妊娠しての総合職は先例がないと言われて辞めた友達が、戦えばよかったかな、とつぶやいた横顔は忘れない。
「オレ、だからこないだ嬉しかったんですよ」
 そのこないだがいつをさすのか、だからがどこにつながるのか、わからなかった。十四年もたって再会したことか。それともこないだ、浅倉くんの窮地を救って男前なところを見せたこと?
 私はあわてて浅倉くんの顔を見た。彼が説明しようとしたところで、ケータイが鳴った。ごめんね、と断って電話を取り出した。ミズキさんだ。どうしよ。立つか。いや、それも変? 表示を見たのは一瞬で、よそ行きの声で姿勢を正して名乗った。
「いま話しても平気? どこにいるの」
「うん。だいじょぶ。あのね」
 一瞬、喉が狭くなったように感じた。浅倉くんといるの、という言葉がでてこない。その不器用な間に気づいて、声の調子が変わった。
「誰かと一緒?」
 目を閉じてから、ん、と一呼吸おいて、気を入れ替えた。
「浅倉くんと飲んでるから来れば? お料理もお酒も、美味しいよ」
 横に視線をむけるとグラスを握ってその中身を見つめていた。機嫌がいいとはお世辞にも言えない横顔だったけどかまわないことにした。というか、もう誘ってしまった。後で考える。
「せっかくだけど、ごめん。この後、打ち合わせで」
 ミズキさんはもう、ほんとにビジネスモードだった。どうやら合格したらしい。らしいというのは店舗ビルの取り壊しが決まって、当初の条件が大幅に変更されそうだという連絡だった。当然、勤務地も変わるだろうし、立退き料如何によっては新規事業計画もあるという。ちょびっと聞いただけでも、これはここでOKの返事をするとやたらハードに働かされそうな予感がした。
 こちらの沈黙を受けて、すこし掠れ気味の声が返る。
「ごめんね、今、何の見通しもなくこんなこと言われても困るよね。ほとんど契約違反みたいなやり方されて、僕もかなり頭きて、知り合いのヤクザにでも会社ごと売り払ってやろうかって思うくらい」


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