唐草銀河

「遍愛日記」
3月22日

3月22日 (31)

   そういう私用は常々いかんと思っていたのだが、背に腹は変えられないと自分を丸め込んでいたせいで、うんと言おうとして頷きそこなったのにかぶさるように叱られた。
「あれ、なんだか危なっかしくて」
「鍵、かけてたじゃない」
「オレと龍村さんは入れたよ。あと、担当の教授だか学生課の職員だかは入れたんじゃないの?」
「そうだけど、でも……」
 なにを言い返そうとしていたのか、自分でもよくわからなかった。龍村くんはなにしろ、酒井くんから直々に、あいつ無茶するからフォローしてやって、などと頼まれていたそうだ。妙に気を遣われていたのはそのせいだと後々判明した。ああ恥ずかしい。
 全知全能とはいわないまでも、周囲の思惑くらい読み取る能力が欲しかった。こと恋愛事に関してけっこう聡いほうだと思っているはずなのに、たまに罵倒されてこっそり泣くことがある。
「オレが入っても起きないときがあって」
 ウソと声をあげると、目を泳がせてうつむいてからつぶやいた。
「それは、なかったっすね」
「もうっ」
「けど、寝てたのまるわかりの顔であわてて出てきたりして、オレ、けっこう焦ったよ」
「ご、めんなさい」
 素直に、反省します。そのときに言ってほしかったよ。でも、講義には出たかったし、鍵かかれば安心できて短時間でもけっこうぐっすり眠れて楽になったんだもん。
 ふう、と浅倉くんが息を吐いた。
 ん? 謝ってから気がついてしまったけど、よくよく考えるとそんな昔のことを今ごろ文句いわれてもなんだかなあ。
「来須が、センパイはガラスケースに入った人形みたいだって言ってましたよ」
 それは褒めてるのか? 違うな。
 人形なら可愛いという意味だろうけど――彼女は確かに、私を、背が小さくて華奢で憧れると言っていた――この場合はガラスケースに重きがおかれてるのだろう。つまりは、さっきの言葉につながるわけか。囲われて、安全なところ。
「でもしょせん、ガラスなんすよね」
 嫌な予感がした。わ。 
「や……」
 腕をついて逃れようとすると、バッグを取りあげられた。
「これ邪魔」
 邪魔って、そんな。背にまわされてしまっては取り返せないじゃないか。というか、待て。抱きしめるじゃなくてこれは拘束だよ。
「ちょっと、何するのよ」
 声をあげるとますます力をこめられた。バッグを取り返すどころではない。痛い、いたいから。
「痛いから、やめて」
「好きだ」
 耳のうえで声が弾けた。
「はなして」
「やだ」
 やだって、ヤダってなんだそれ。駄々をこねるな。私もやだよ。くう。びくともしないじゃないか。
「力でくるなんてズルイ。卑怯だよ」
 一瞬、腕の輪が緩んだけれど、浅倉くんはうろたえていたわけではなかった。
「ずるいのはお互い様」
 なんで。
「自分の身を守るのに精一杯で、見ないふりで逃げ回ってきて、今さらひとを卑怯って言う?」
 ヒドイ。
 私が震えたのを確かめるように、または宥めるように、その手が背中をなでた。
「ごめん」
「あ、謝ればいいってものでもないでしょう」
「でもセンパイもさっき、同じこと、オレにしたよ」
 ミズキさんを誘ったことだとわかった。
 その通り。私は彼を呼ぶことで、とりあえず問題を先送りにしようと目論んだ。自分で決断を下すのが億劫で、浅倉くんがどう反応するのか、またはミズキさんが何か動いてくれるものかと期待した。相手に丸投げして、自分は高みの見物とはいかないまでも、お互いで話し合ってくれればラッキーと思った。
 見つめあううちに、彼が泣きそうな顔で告げた。
「ごめん。ずるくてもいいって言いたかったのに、責めるようなこと言った」
 さっきも似たような言葉をきいたと思い出す。もう一度、ごめん、とくりかえされて、私はいつの間にか、身体の力を抜いていた。
 すると、浅倉くんも骨が痛くなる、締め付けるような窮屈で息苦しい戒めをといて、ほんとに腕を添わせるだけの、やさしい、もっといえば気持ちのいい、抱き方をしてきた。
「オレの前では弱くても、意地が悪くても、いいんですよ」
 そんな言葉を耳にして、それで私が嬉しかったかというとそんなことはない。
 男というのは似たようなことを言いたがるものだと思い、それは独占欲の吐露ではないかと醒めた頭で考える一方で、頬をあずけるように目を閉じた。この熱は心地よく、私はそれを知っていて、ただそのことだけで男と付き合うのをやめないのだと感じていた。
 そして、そういう気持ちでいながら私は、私を、自己主張が強くて頑固でワガママで意地が悪く、さらにはプライドが高くて怖がりだと見抜いて罵りながら、何もしなくても、貴女が貴女であればそれでいいと言ってくれたひとのことを思い出して笑った。あれはひとだったのか今となっては定かではないのだが、でもまあ、オトコではなかったな。
「なに?」
 笑った気配に、浅倉くんが首をかしげてきた。告白を笑われては様にならないと思ったわけではなくて、きっと、本当に何故、そこで私が笑うのか不思議だったのだろう。そういう、そういう可愛らしいところは、前からずっと、好ましく思っていた。
 こたえないでいると頬に手をあてられた。瞳を合わせようとすると、浅倉くんは目を伏せて顔を寄せてきた。

スポンサーサイト



*Edit ▽TB[0]▽CO[0]   

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)