唐草銀河

「歓びの野は死の色す」
散らばる

散らばる 1

   今夜のエリスはだいぶ様子がおかしかった。
 いま、彼女はあたしの寝台のうえで猫のように丸まって軽い寝息をたてている。断髪した髪のせいで、粗末な寝布にくるまった姿は囚われの罪人のようだった。
 あたしは寝るところがないので自分の机にむかって日記を書くことにした。
 戦士としての鍛錬のおかげで、あたしは少しくらい眠らなくても平気な質だ。それに、エリスはとても疲れている。眠ってくれるならそれでいい。
 先ほど、エリスはひとりで食堂に入ってきた。伯爵は一緒ではなかった。
 剣を返しに行くようにいわれたけれど、彼女をひとりにしてはおくのは不安だった……。
 エリスがやけに楽しそうなときは用心しないとならない。
 前に一度、露台の端から落ちそうになった。
 しかも、始末の悪いことに、酔っ払ってふざけただけだと言い張った。とさかにきたあたしは彼女のひょろっとした肢体を担ぎあげて、手すりのうえにのせた。
 どうせやるなら本気でやりな、そしたらあたしも責任とって死ぬだけだ。
 あたしがそう啖呵をきると、いつも高飛車なエリスが、そのときばかりは素直に頭をさげた。それからふいに気が違ったかのように笑い出し、ついには声をあげて泣き伏した。あたしは心配する侍女たちをさげて、むずかる子供のようになってしまった彼女を湯殿で洗ってやった。
 足首に、枷の痕がわずかに残っていた。
 エリスは飲んだ次の日は顔が浮腫んで醜いといって、人前に出たがらない。皇帝陛下のお召しでさえ、そういうときは傲然と断った。
 思い出せることは全部、書いておかないとならない。
 エリスとはじめて会ったのは、3年前の春のことだった。
 あたしはそれ以来ずっと、彼女のそばにいた。
 だから、エリスが今、何をしようとしているのかはなんとなく、わかる。
 この数日、ご婦人たちが入れ替わり立ち代わりエリスのもとに訪れていた。みな、エリスと同じ《死の女神》をまつる女神官たちだ。
 早朝から昼のあいだは、大組合の委員や小組合の頭たちがそれぞれ別個に馳せ参じている。儲け話に興奮して鼻の穴を大きくする者もいれば、唇を引き結び難しい顔で帰るもの、疑心暗鬼に首をふりふり歩く者もいる。
 貴族の顔は見ない。帝国本土やレント共和国と違い、この国やモーリア王国あたりでは、商いをする貴族はいないそうだ。
 夕方になると、神殿騎士たちが農夫のようなあんばいで、土まみれになって戻ってくる。彼らはエリスのねぎらいの言葉に気をよくし、また明日から同じ作業にとりくむことだろう。
 あたしたちはそのかたわら、菜園で薬草をつみとったり厨房で鳥を絞めて捌いたりする。洗濯をしたり、繕い物をしたり、燭台から蝋の残りを剥ぎ取りそれを磨いて綺麗にしたりもする。
 あたしはけっこうそういうことが得意だった。
 細々としたこと、根気のいること、毎日誰かがやり続けなければならないこと。
 そういえば、ゾイゼの奴が大勢の人間をひきつれてこの神殿にきたとき、エリスは少しもあわてなかった。
 誓ってもいい。
 エリスは、ゾイゼのいる大神殿に間者をはなっている。
 そのくらいのことはする女だ。
 ただ、壁掛けが外されたときだけは表情を変えた。
 エリスは寄進者の意向を重んじねばならないのではないかと食い下がった。ところがゾイゼはのっぺりとした顔のまま首をふって、新しい大神殿の落成式にこそこの絵巻はふさわしいといって取り合わなかった。
 それを聞いた彼女の瞳に底知れないものが浮かんで、すぐに消えた。
 瞬きのうちに、エリスはいつもの顔つきをして鷹揚にうなずいてみせた。
 ああいう顔をしたあとのエリスはおっかない。
 皇帝陛下が、《死の女神の娘》を怒らすと何をされるかわかったものではないと、真顔であたしに教えてくれた。
 あたしも、そう思う。
 帝都にいたとき、エリスは黄金宮殿一、贅沢な女だった。
 つまりそれは、この世でもっとも金のかかる女だってことだ。
 彼女の選ぶもの、食べたもの、手にしたもののすべてが、帝都の流行になった。
 着るものはもちろん、身の回りのすべてに皇帝陛下と同じ、ううん、それ以上の品を用意させた。彼女の部屋には大陸中からひとが集い、はたまた海を越えた異境から商人たちがやってきた。しかも、帝都でいちばんの工房としか取引をしなかった。
 エリスのご相伴で、あたしは生まれてはじめて冷たくて甘い菓子を口にした。よく磨かれた銀の匙ですくったそれは、舌のうえで淡雪のように溶けた。
 エリスは、目も眩むほどの豪奢のなかで悠々と憩いながら、ときどき、どうにも息苦しそうな顔をして、北の空を見た。
 まるでそこに、黄金や宝石よりも美しいものがあるとでもいうように。
 エリスに関わる人間たちはみな、その女主人の用意したお仕着せを身にまとっていた。深く、艶のある黒衣は、エリスの髪と瞳の色に同じほど麗しかったけれど、残念なことにあたしには少し、色がきつすぎた。
 エリスはあたしに謝った。

 サンドラ、あなたには白のほうが似合うのに。ごめんなさいね。

 かわりに、あたしはいつでも髪に白い花を挿した。エリスはそういうところは煩くて、花のない季節には絹でできた造花を拵えさせられた。
 いつだったか、あたしはふざけてエリスの黒髪に自分のつけていた花を挿した。
 不思議なことに、粒のそろった真珠の連やエメラルドを幾つも嵌めこんだ黄金の額飾りより、その、小さなひとえの花のほうが彼女に似合うような気がした。
 そういうと、エリスは寂しそうに微笑んだ。

 わたくしはもう、髪に花を挿さないわ。見せたいひとはいないから。

 言いおわらないうちに、エリスは白い花をとってしまった。あたしはもっと見ていたかった。そう口にする前のことだ。
 ふわりと、花びらが散った。
 紅い絨毯のうえに、透けるほど薄い花弁が落ちた。
 その脆さが切なくて、堪らなくいとおしかった。

「サンドラ、喉がかわいた」

 エリスの寝ぼけ声が聞こえて、あたしはあわてて書き物をやめた。





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