唐草銀河

「歓びの野は死の色す」
白のエリス姫

白のエリス姫 6

   それを聞いたアンリは肩をそびやかして反論した。

「貴女様のような方にお仕えるのは気苦労が絶えず大変ですが、わたしは無能な人間は反吐が出るほど嫌いなので、公爵様からお暇を出されない限りはこの国で働かせていただくつもりでいます」
「それはおれへの追従か?」
「騎士らしく、敬意(オマージュ)を捧げさせていただいたつもりですが、お気に召さなければ撤回いたします。忌憚なく申しますが、わたしは、君主とは民を守り導く『父』であると教わってきて、いまもそうと信じています。貴女様が女性であられるのはわたしには不都合な事実ですが、だからといって貴女様が君主に相応しくないとは思っておりません。わたしは、そうした貴女様の許でこの国を豊かにし、侵略から守り、強くしたいだけです」
「おれは違う」

 アンリは翡翠色の両目でその真意を探ろうとして、相手の顔をみつめた。

「アンリ、おれの目標はただこの国の安全や富だけではない。この運河建設の最終目標は、他国にも利益のあがる事業だ。そうすれば、河の利権を巡っての戦争は回避できよう? 国家なぞ、ひとの利便のためにあるにすぎない」

 さしものアンリも返答に窮した。戦争は貧困ゆえに起こるわけではないというあたりまえのこたえを期待されているわけではないからだ。公爵の頭のなかにあるのは、たんに戦争の拒絶ではない。

「貴女様が《死の女神の娘》であり葬祭長閣下であらせられることを偶にわたしは忘れるようですね」

 アンリがようようだした声に、エリス姫は微笑した。
 超国家集団としての宗教組織《死の女神》教団の最高指導者である彼女は、すでにしてこのときエリゼ公国の存在意義を予見していた。そしてまたアンリも、その将来を見通した。

「もしもわたしが貴女様を裏切って自己の欲望のまま暴走したら、ルネさまのお身体を川に投げ込まれるといい。女神に抱かれて眠りたいといったあの方の夢を打ち砕くと言えば、わたしはきっと目を覚ますことでしょう。
 わたしが、おのれの命より大事にしてきたのがあの方の名誉です。あの方は、わたしの唯一のひかりでした。妾腹ゆえに影におかれて育ったわたしが、あの方のそばにいるときにだけ、日向の健やかさを知ることができたのです。わたしはあの方に相応しい最期をお迎えさせることができなかったことを死にたくなるくらいに悔いています。わたしが貴女様にお仕えするのは、あの方のご無念をすこしでも晴らしてさしあげたいという己の感傷です。すでにご存知のように、わたしは貴女様をお守りする騎士ではありません。貴女様はそれを否定なさるかもしれませんが、貴女様はルネさまが愛し、守ろうとしたこの国そのものでありますし、また貴女様の目標とわたしのそれは意味合いは違うのでしょうけれど重なることと思います。その限りにおいて、わたしを重く用いてくださればこれ以上の喜びはありません」

 それを聞いたエリス姫はしずかに微笑んだ。了承したと返った声が、かすかに震えたことをアンリは一生涯、忘れなかった。そしてまたとうの公爵も、彼の国家への忠誠を疑うことはなかった。彼がエリゼ公爵の腹心として過ごした生涯は、その主君に対する敬虔な忠誠に貫かれ、しずかに幕を閉じた。エリゼ公国が彼女の生きているあいだ一度たりとも戦をせずにすんだのはその年に彼の成し遂げた偉大な勝利のためと思われているが、知将アンリの名がその年の後、大陸に轟くことは二度となく、彼自身が書き連ねているように、事実は、その後の日の当たらない、彼と公爵が細心の注意を払って行った地道な外交努力によるものである。
 アンリはすぐさま帝都に発つものと心得て、残務処理についてたずねた。

「わたしの仕事の引継ぎは誰が」
「ああ、サルヴァトーレにあたらせる」

 彼の眉がつりあがったのを公爵は苦笑で眺め、肩を揺らしてつづけた。

「まあそう彼を嫌うな」
「勘違いなさっているようですね。あちらはわたしを憎んでいるでしょうが、わたし彼を嫌いではありませんよ。彼は至極優秀です」
「アンリ、おれがサルヴァトーレに戦後処理を任せるのは、彼が優秀だからではなくてやさしいからだ」

 どういう意味で、と尋ねるのは憚られた。黙して待つと、公爵は瞳をふせていった。

「ひとの痛みがわかり、また公正にものを見ることができるから任に就かせるのだ。彼は、黄金宮殿でも小姓や侍女たちに人気があった。上にへつらわず、下に威張らず、己の能力をひけらかして争いを生む愚かさもなかったからな」

 アンリはそれをおのれへの叱責として胸におさめたが、反論はのみこまず外に出した。

「それは認めます。ですが、彼は他国人です。みなが口を開きましょうか?」
「サルヴァトーレのことばは流暢だ。問題ない。今後、モーリア王国からも移民が押し寄せてくるだろうことを考えれば、適任だ。くりかえすが、国家なぞというものは、人間の生きていくのに邪魔にならぬようあればいいだけのものであって、それ以上のものではない」

 今度こそ、彼には返すことばはなかった。
 承諾の意として一礼して後、アンリはいった。

「ジャン神官を引見されますか?」
「何故だ」
「貴女様の信念と似た思想を持っています」
「だが、彼は故郷に引きこもっておるのだろう? こちらから身分を盾に呼びよせては遺恨を生もう。あの事件に関しては、そなた以上に思うところがあるだろうからな。それに、彼が世に出るつもりがあれば、この国はそうは大きくない。いずれ、ときがくれば会うことになるだろう」

 それにアンリも同意した。必ずそのときがくると、彼は確信していたからだ。
 公爵は黄金宮殿へ向かうときのいくつかの懸案事項をつたえ、彼を退出させた。アンリは彼女の口からその肉親の名前がでないことに気づいたが、それには触れず、いや、気づいたことすら相手に悟らせないようふるまった。また公爵のほうも、秘密裏に交わされた約束を見なかったふりで心に刻む、彼のそうした優雅な沈黙を愛した。
 執務室の外に出ると、そこにはサルヴァトーレが立っていた。 

「私は、あの方を傷つけたあなたを許さない」

 突き刺さる視線をアンリは無視しようとつとめた。この男は、ただ己の許されざる欲望をモーリア王が成し遂げたから腹を立てているだけなのだと思うことにして、皇帝から爵位を与えられればこんな絵描き風情に何を言わせるものでもないと考え、それはやめた。身分に拘泥する己が哀れで、また愚かしかったからだ。それゆえ、奴隷身分から自由民となり、こうして公爵の私室の前に誰にも見咎められず立つことのできる男に敬意をしめし、アンリは歩みを止めて振り返らずにこたえた。

「わたしは、誰かに許されようと生きてきたわけではない。それに、エリゼ公爵が侮辱されたとみるのは男の考えだ」
「この大陸中に知れ渡ったというのにか?」
「わたしがこの件を提案したときにも、女というものはそうは考えないとおっしゃられた。わたしには公爵様のお気持ちはわからぬが、女性の身体が国家でありその基となる大地であると考えるのは男の身勝手な妄想であると言われれば、それは理解できる。公爵様が国家であればこそ、わたしの作戦が功を奏し士気があがったわけだが、あの方はそれを愚かしいと思っておいでだ」
「しかし、エリス姫こそが、大地を司る《死の女神》そのものではないか」

 サルヴァトーレのつぶやきは、彼にも理解ができた。

「あの方は、では、この大陸すべてが御自分の神体であると考えておいでなのかもしれない」

 振り返った肩越しにそう述べて、公爵様がきみをお呼びだと嘘をついた。サルヴァトーレはいぶかしむことなく、それを聞いて首肯した。喜びを隠すこともしない男の顔は快かった。サルヴァトーレが公爵に呼ばれもしないのに入室した無礼を罵られ、騙されたと気づいたときにはもうこの執務室を遠くはなれ、次に登城するのは翌年であろうとアンリは知っていた。そしてまた、エリゼ公爵があの男をけっして嫌いではないことを。
 アンリは、公爵がサルヴァトーレの前で男言葉を話していないと察していた。おそらくは、ふたりだけのときはエリゼ公国のことばさえ使っていないのではないかとも感じた。それはたとえ帝国の正式な言語であろうと、それを使えぬものにとっては秘密のことばで、あの双子のように似ている美しい男女が使うとなれば睦言以外のなにものでもなかろうと思った。それを理解しているからこそ、彼女はどれほど役に立とうとサルヴァトーレに爵位を与えず、こうして用事がないかぎり城へと呼び出さず、そばから遠ざけておくのだとアンリは理解し、女公爵の、潔癖さという名前に隠れた狡猾をすこしばかり憎んだ。否、哀れんだ。かといって、彼女がサルヴァトーレを寝室に呼び寄せていたらそれはそれでルネへ対しての許せない裏切りであるとして彼女を殺したくなっただろうおのれに呆れた。
 よって、それが誰の依頼で、またはどのような目的で描かれたかは不明ながら、サルヴァトーレの『白のエリス姫』は、騎士アンリ不在の間であることは間違いない。何故なら、女公爵の寝室にまで政策の協議を持ち込むアンリの前では、彼女は常に男物の服を着てすごしていたからだ。
 アンリは城門へとむかいながら、あの麗しい君主と結婚せよと命じられなくてよかったと心の底から安堵した。彼はなにかを恐ろしいと思うことは滅多にないが、実はひそかにエリス姫がこわかった。しかしながら、こわいと感じたことさえ忘れようとつとめていたので、その希望通りにそのことを思い出すことはなかった。だからこそ、その恐怖がルネの恋人と寝ることの罪の意識や忌避感によるものでなく、ルネに成り代わりたいという狂おしいまでの渇望であると気づかなかった。
 それでもふと、彼はおのれの告白を思い返した。
 ルネさまは、わたしの唯一のひかりでした。
 いまも、その瞬間でさえ、彼の内側でそれはまぎれもない真実であったが、アンリは「エリス姫」の前でそう述べることを自身に許さなかった。他の誰よりもそばにいたのに彼の暗殺を妨げることができなかったのはアンリだ。さらには、何もかもを投げ捨ててエリス姫のもとへ行きたいと願っていたルネの気持ちを、「ヴジョー伯爵たれ」と願い、踏み躙ったのも彼だった。そして十年ものあいだ、この地に縛りつけた。アンリは、自分の主君がおのれを生きようとしていないことを知っていた。黒死病のさいにも病を恐れず病人を癒し死者を運び、また神官であることを理由に騎士が身に帯びる剣を忌避したルネは、おそらく心の奥底で死にたがっていたのであろう。
 アンリはそれを知りながら、エリス姫と結ばれようとしたまさにその時にルネを再び殺してしまったのだ。
 そうして、ルネは、アンリの願望を達成した。
 いや、アンリとエリス姫ふたりの願いを実現した。
 即ち、不滅の『騎士』として、エリゼ公国を守る者となったのだ。





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