唐草銀河

「『歓びの野は死の色す』外伝」
風に舞う蝶 

風に舞う蝶 1

   あの蝶を、初めて見たのは「見回り」の日のことでした。
 見回りとは、太陽神殿の葡萄畑が他の所領地とちゃんと区別されているかどうか確認する作業です。そのころの僕は、エリゼ公国の都にたったひとつだけの太陽神殿に「神官見習い」として勤めていました。
 都の東側の突端にあるとても小さな太陽神殿には、僕たちの主にして神官職であられるルネ・ド・ヴジョー伯爵、神官見習いのニコラさん、作男のアンリさん、作男なのにやたら教義や式典に詳しいジャン、そして僕エミールがいたのです。
 「見回り」が始まったのは、その神殿で寝起きするようになって3年ほどたった年のことです。その年から新たに増えた葡萄畑は、公都の門の外、東の丘の斜面にありました。増えたといいましても、正確にいえば、神官さまが買い上げて神殿に寄進したものです。葡萄酒販売で巨額の富を築いておいでの神官さまは、その知識や技術をご自分の司る神殿で試みようとお考えになったとしても不思議ではありません。
 しかしながら、我らが太陽神殿には神官さまも含めて五人しか人手がなく、農作業のほとんどを近隣の農家に依頼することになりました。
 ところが、その農民たちや元の土地所有者である貴族たちが、印しとして置いた石を動かして僕たちの葡萄畑を掠め取ろうとするのです。あんな大きな石をご苦労なことだと思うのですが、あまりに頻繁に動かされてはたまりません。また、畑が騙し取られていたりしたときには断固としてそれを守らなければならず、この「見回り」という仕事は時として武力行使も辞さない覚悟が必要になるのでした。
 もっとも、この見回りにヴジョー伯爵であらせられる神官様が来られれば、たいていの農民や貴族たちは引き下がりました。なにしろこのエリゼ公国では公爵様に次ぐご身分の方ですし、公明正大であることはみなが知っていたからです。
 そういうわけで、僕たちが口で言っても通用しない場合、神官さまにおいで願うことになっているのですが、神官さまご自身はあまり乗り気ではないようなのでした。

 その日は、僕とアンリさんの見回り当番の日でした。
 そのころの僕が誰といちばん仲が良かったかというと、アンリさんでした。彼は事実上、太陽神殿を取り仕切っていました。帳簿をつけたり祭具を買ったりという細かなことは、みなアンリさんが引き受けていたのです。彼は、立派な騎士身分でありながら一切の教義を学ぶことなく作男を務めていました。当時の僕はそのあたりの理由がよくわかっておらず、それを不思議がるだけで、また帝都帰りらしく知的で洗練されたアンリさんの話を聞くのが好きでまとわりついていたのでした。
 神官さまは大層お優しい方ではありましたが、やはりご身分の上でも職務の上でも近寄りがたく思いました。僕は子爵家の長男であったのですが、この国で、エリゼ公爵家より立派だと噂される伯爵さまには、格別な畏敬の念をおぼえました。
 また、同じく神官見習いのニコラさんはというと、中背ながら筋骨隆々として逞しく、神官見習いの身分を示す杖よりも戦斧のほうがお似合いの人物でした。その雑駁で大らかな気性に接すると気が晴れましたが、一方で、ぎょろりと大きな青灰色の瞳には、ときにぞっとするほど冷徹な光が宿ることがありました。彼が若いころ、戦場で悪鬼のような働きをみせたと神官さまが語ることばに、僕は奇妙に納得した覚えがあります。
 それから、僕と五才しか違わないジャンですが、彼は、僕をからかってばかりいました。かと思うと面倒見のいいところもあって、僕が慣れない薪割りなどでもたもたしていると、いつの間にかそばに来て、鈍臭いとかこんな事も出来ないのかなどと文句をいいながらも手伝ってくれました。ところが、それでこちらが苛められないものと安堵していると、ちょっとしたことですぐ突っかかってきて、僕のことばの端々をとりあげて嫌味をいい、不見識を窘めたりするのです。僕はそのたびに面白くない気分にもなりましたが、よくよく考えてみると彼のいうことには理のあることも多く、示唆に富んでいました。しかしながら、物には言いようというのがありますし、彼のように頭から相手を馬鹿にするような口調では、たとえ彼の話す中身が正しくても通じません。僕はなんどかそのことをジャンに言ってみたことがあるのですが、ジャンはとりあってくれませんでした。
 たしか彼は、その以前の見回りのときも、囲い壁を作ったほうがいいという僕の意見を退けました。お前は世間のことがなんもわかってないと繰り返すだけで、こちらの言い分を聞かないのです。
 そのせいであんなことに巻き込まれたという不満が、僕の胸のうちに燻っていたのでしょう。

「だったら囲ってしまえばいいのに」
「エミール?」

 ふと漏らしたつぶやきを聞きとがめたのか、一緒に回っていたアンリさんが首をかしげてこちらを見ました。僕は思わず顔を赤くして、なんでもないとお伝えしようとしたのですが、

「たぶん、ルネさまには囲い壁をつくるお気持ちはないと思うよ」

 そう、片頬で笑ってこたえられてしまったのです。
 僕が口を開きかけると、少し休もうか、とアンリさんが木陰を指差しました。黙ってその後ろをついていく以外、僕にできることはありません。
 楢の木陰に並んで腰をおろし、僕は革袋にはいった葡萄酒に口をつけました。仰のいて見えた空は青く、白い雲がなだらかな丘に影を落としながら、ゆったりと流れています。春の陽をあびて二羽の雲雀が舞い上がり、その囀りが歓びの声を高らかに歌い上げているようです。
 以前より葉が大きくなった葡萄畑に視線をもどすと、目の前をひらひらした赤いものが横切りました。火の粉のように目立つ蝶が、戯れながら風に流されていったようです。祭壇の炎に似た姿に胸が高鳴り、もっと近寄って見たかったのですが、ひとり立ち上がって後を追うのは子供っぽいように思ったのでやめました。

「このまま昼寝でもしたいような陽気だね」

 同じように蝶の行方を眺めていたアンリさんが、長い両腕をふりあげて伸びをしました。神官見習いである僕には許されませんが、作男という身分の彼なら大丈夫です。
 アンリさんの年齢は、神官さまより一つ若い29歳と聞いていますが、ご結婚はされていません。どうして結婚されないのか何気なくお尋ねしたところ、わたしの妻になるような奇特な女性はいないとこたえられました。
 そんな不躾なことをお伺いしたのかは、理由があります。
 アンリさんは、娼婦を買うのです。
 神官見習いでも神官職でもないのですから、誰にも咎め立てできるものではないのですが、やはり不道徳な行いだと非難するむきもあります。僕も、納得できませんでした。
 アンリさんはご自分を花から花へと渡り歩く蝶だと笑われましたが、身を慎まれたほうがいいとは申し上げられませんが、ご身分に相応しいご令嬢を娶ったほうがいいのではないかと思ったのです。 
 それに、ひとを外見で判断してはいけないとは思いますが、いわゆる「恋愛」というものに有効な力を発すると思われる容姿についても、アンリさんは不足がありません。婦女子に間違えられるような貧相な体つきの僕と違い、神官様の隣に立っても見劣りしない長身ですし、くせのない金髪を短くされているのもさっぱりとしたご気性にあいますし、お顔立ちも端正ですから女性に好かれる方ではないかと想像するのです。僕はあまり身体を動かすことが得手ではないので真偽のほどはわかりませんが、ニコラさんいわく、アンリさんは武術にも秀でているようです。
 女性がほうっておかないと思うのは、僕がジャンのいうように、世間知らずで頭でっかちな本の虫だからでしょうか?
 そんなことを考えていた僕の横で、アンリさんがつぶやきました。 

「ルネさまは、わたしたちと土地の所有者がなんだかんだとやり取りするほうがいいと思ってる」
「でも、面倒ではないですか?」
「そのメンドウこそが、太陽神殿の置かれた立場に相応しいってことなんだろうね。わたしたちはこの国では圧倒的な少数派だから」
「だからこそ、いたずらに問題となるようなことをしないほうが、周囲のひとびとと軋轢を生まずに受け入れられると思うのですが……」

 彼らがたびたび石を動かすのは、元は自分たちの持ち物であったという気持ちが根にあるのだと想像できました。
 僕の反論に、アンリさんはそうだねと頷いてから首をかたむけて尋ねました。

「ジャンは、なんて言ってるのかな?」
「ジャンですか?」
「このあいだは二人で組になって見回ったんだよね? 何も言ってなかった?」

 あのときのことは、正直思い出したくありませんでした。いえ、思い出したくないのは自分の至らなさです。ほんとうは誰かに、できればこの翡翠色の眼をした優しいひとに、聞いてもらいたかったのでしょう。

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