唐草銀河

「遍愛日記」
審判の日 悔悛

審判の日 悔悛 (184)

  「ちがっ」
「なにが違う?」
 両肩を掴まれて揺すぶられ、自分の身体が不安定に傾いで椅子にぶつかっていた。
「ちがう、そうじゃ、なくてっ」
 目を合わせようとするのに、無駄だった。身長差は如何ともしがたいし、私自身の視線も定まっていなかった。激昂する相手の勢いに流されては駄目だと思うのに、声が上擦って、身を竦めていた。
「そんなに浅倉が大事なら、なんでここに来たっ」
「私、ミズキさんが心配で」
 声をあげるのには、私の喉は細すぎた。
「僕が浅倉に手をかけないか不安だっただけだろう?」
「そんなこと、思ってない」
 悲鳴のようにこたえると、
「じゃあもう僕を振り回すのはいいかげんにしてほしい。君さえいなければ、僕はこんなふうに声をあげたりしないで、浅倉と二人で穏やかに生きていけた」
 それが、ミズキさんの究極の本心だろうと思った。
「……それで、いいじゃない」
 私が、そう言うと、彼はこちらを見下ろした。
「それが、いいよ。そうしよう。もう、こういうのはやめにしようよ。さいしょっからそう言ってるし。ふたりで仲良く生きてけばいいよ。振り出しに戻そうよ。私は浅倉くんともミズキさんとももう会わない。それが、一番いいよ」
「君」
「そう、言ってほしかったの」
 ほんともう、ようやく自分の願望が叶った気になった。いや、そういうわけにはいかないか。浅倉くんも同意してくれないことには、この案は採択されないのだった。困ったな。でも、私が拒否れば、それですむのか。そうか。きっと、そうだ。そうしよう。それで、万事円くおさまるだろう。めでたし、めでたし、だ。
「……なんで、そんなに泣いてるの?」
 あれ、と思った。
 たしかに、頬を濡らすのは涙だった。しかも、自分でもびっくりするくらい次から次へとこぼれていた。涙腺がこわれたのかと思うほどの大洪水で、頬から顎の先までくすぐったくなっていて、鼻の奥がその頃になってぐずぐず言い出した。
「ほっと、したの」
 そうこたえたとたんに、抱きしめられた。
「ほっとしたのは、浅倉に頼れるからだ」
「そんな」
「君は、いつも浅倉のことしか考えてない」
「ちがうよ」
 彼は私を抱きながら首をふった。
「浅倉なら、君を説得できる。君はほんとは浅倉に助けてもらいたいんだ。彼に流されて任せてそれで安心したい。それで僕はまた、ひとりでおいていかれる」
 そんなことはないと言おうとして顔をあげると、彼の両手が私の首にまわった。さすがにびくりと身体を震わせると、
「君は、いつだって僕をおいていこうとする」
 指先が肌に食い込むような気配はなかった。でも、彼は微笑んだ。
「首ほそいよね。片手で足りるところだ」
 あまり刺激してもなんだと、否、正直にいうと恐ろしくて動けないでいると、陶然と瞳を細めて囁かれた。
「ねえ姫香ちゃん、僕が君に手をかけたら浅倉はどう思うかな」 
 ちょっと待て。
 ひとの襟首抑えておいて、私じゃなくて浅倉くんのことが気になるのか!
 手に力は篭っていなかった。けれど、だからこそ、無性に腹が立つ。ほんとうに何処かが切れそうな勢いで、何もかもに我慢がならない。
「もう、ほんと、いいかげんにしてよっ」
 彼の両手を引き剥がして押しのけようとした瞬間、それが、おきた。
 決壊。
 堰が切れるというのはこういうことだと感じた。
 やわらかく、光沢のある丸いものが身体の表面を舐めるように伝い、重力にまかせて四方に流れ落ちるのを感じるのは官能的なまでに快かった。真珠の連が切れて、それが零れ落ちたのだと気づいたのは一呼吸おいたあとで、首からしたに、虹の雫でできたライス・シャワーのようなものを浴びた気がした。それは米粒よりはずっとなめらかで、ひたすら地をさして垂直に下へと落ちていくはずだった。けれど、雨音に似てそれが床を叩いたときは、なぜか悲しい気持ちがした。傷がついたかもしれないと感じたせいでなく、乳白色に七色が凝った円いものが行く手を遮られたように思ったのだ。
「あ……」
 声をあげたのは私ではなく、ミズキさんのほうだった。
 憑き物が落ちたような顔をしていた。
 すぐさま、辛うじて襟の後ろにひっかかったままの留金に手をのばしてそれが落ちないようにしながら謝罪した。
「ごめん。僕が……」
 彼はそれをテーブルに置いて、私の顔を見ようとせずに床に膝をついて掌に真珠を拾い集めはじめた。私がしゃがもうとすると、僕が拾うから、と素早く遮った。
「ミズキさん」
「そこにいて」
 命令口調で遮られ、私は小さく息をついた。 
 長身の男のひとが床に這い蹲る姿を見おろすのは、あまりいい気分ではなかった。といって今、私も一緒に膝をつかれては彼はたまらないだろうとも察した。
 それで鼻がぐずぐずするのを抑えるように肩をあげ、頬の涙のあとを指の背と手の甲でぬぐった。それだけじゃ足らなくて、首筋と鎖骨、ついさっきまで真珠が占めていた場所にも指をはしらせて濡れたあとをこすった。あんな軽いものでも、いざないとなると、なんだかそこに隙間ができて涼しく、頼りない感じがした。
 それから、着ていた服の前は開きっぱなしだと気がついて、あわててボタンを閉じてウエストのベルトを結んだ。目を落とすと襟と胸に幾つか点々と、涙のあとがついていた。
「ごめんね。大事なものを壊して」
 机のしたに潜りながら、言われた。
「べつにそんな大したものじゃ」
「誰かに譲られたものじゃないの?」
 留金の感じを見れば、古いものだとすぐわかるか。母親の結婚祝いの代物だった。
「母から貰ったものだけどそんな高価なものじゃないし寿命っていうか、繋げばいいわけだし」
「でも、傷がついてたら……」
 彼が、弁償するという言葉を飲み込んだのに気がついた。私はゆっくりと膝をついて笑ってみせた。
「重宝して普段使いにしてたから傷はもう、とっくについてるよ」
「嘘だよ。僕は初めて見た。僕の見たのは淡水真珠のチョーカー、それから二連のもの、あともっと長い模造パールの二連だ」
 正確に言い当てられて息をのんだ。
 すると、彼が私の顔をみて苦笑した。
「君と初めて会ったときから、君がきてた服や髪型や、君がいった言葉は全部、覚えてるよ」
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