唐草銀河

「掌編・短編」
楽園の箱

楽園の箱 3

   翌朝、モーリスはお土産物屋さんで絵葉書を一枚買いました。それは遠くの丘から教会をうつした写真でした。はじめは教会正面の絵葉書も片方だけの塔なのに不恰好に見えずとても素敵だと思いましたが、これは緑の海に浮かぶ豪華客船のように豪華で、しかも荘厳なうえにたいそう頼もしく見えたのです。巡礼の最初の記念にふさわしく感じられました。だから、妹の名前と、彼女のいる学校の名前だけ書いて、その葉書を投函しました。住所もほんとうはノートに書いてあったのですが、届かなければそれでかまわないと思ったのです。
 猫は絵葉書をとくとくと眺め、さいごに線のように目を細くしていいました。
「立ち寄った教会ごとに、葉書をだそう。ぼくは、綺麗な教会の写真が気に入ったよ」
モーリスも深くうなずきました。たくさんある写真の中から、これ、と思うモノを見つけるのはそれは楽しかったからです。それに、すくなくとも、妹にだけはこうして自分が旅に出ていることがわかるし、休みになっても帰ってこようとはしない彼女もこれを見れば喜ぶのではないかと思ったのです。ただし、用心もふくめて、葉書はそれ以降、すこしずつずらして送ることにしました。
 見つかってしまっては、元も子もないからです。

 その後もなにもかもうまくいくように思えました。TGVは快適で、バスを待つこともちっとも苦になりませんでしたし、朝早く起きて街道を歩くのはとても気分のいいものでした。それに、なんといっても、モーリスには白い猫がついていたので、ちょっとやそっとでは挫けないですみました。連れがいるというのは、とてもありがたいものなのです。
 モーリスはこのまま、目的地まで楽しくいけるものだと思っていました。ところが、そうはうまくいきませんでした。

 それはちょうど聖母マリア様のお祭りの日、8月15日のことでした。モーリスはもうずっと前から、ゴッホの住んでいたというアルルの街に遊びにきたかったのです。あの黄色い壁のカフェがあったら、そこでエスプレッソを飲もうと決めていたのでした。でも、駅を出てすぐのところで、背の低い男のひとに呼びとめられてしまったのです。
「タカナシ・モーリス君だね?」
 モーリスは反射的に、相手をつきとばしました。その男のひとは子どもに突き飛ばされたくらいでは倒れることはありませんでしたが、まさかそんな乱暴をされるとは思ってもみなかったようで、たいそう衝撃を受けたように見えました。だから、モーリスが全速力で逃げ出すにはじゅうぶんでした。
 アルルの街には観光客がいっぱいで、しかも今日はとくに大勢のひとが集まってきていました。身体の小さなモーリスは通りを行きかうひとびとのの間をするするとかきわけて進み、とうとう小さな路地にとびこみました。暗く細いと思った道はすぐに開けました。視界が明るくなったと思った瞬間、
「わっ」
「あぶないっ」
 どん、と身体がぶつかり、モーリスはそのひとの腕のなかに飛びこみました。相手のひとは、すんでのところで転ばずにすみました。
「ごめんなさい。けがはないですか」
 モーリスは息をきらしたままたずねました。そのひとは落ちた帽子をひろい、背中の大きなギターケースを揺すってしょいなおしました。その間も、モーリスは周囲を見回しました。勢い込んで走ってきたものの、どうやらそこは行き止まりでした。中庭のような広場を囲んで、ぐるりとアパルトマンが立ち塞がっていました。
「おれはだいじょうぶだよ。君は?」
 そのとき、背後からばたばたとした足音が聞こえてきました。もう、逃げ場はありません。おそるおそる振り返ろうとしたところで、腕をつかまれました。
「君、追われてるの?」
 モーリスはがくがくと頭を揺らしてうなずきました。そのひとは無言で、あごをしゃくってついてくるよううながしました。とっつきのアパルトマンの鍵をあけてくれたのです。モーリスはいそいで階段を駆けあがりました。
 小声でやりとりがくりかえされているあいだ、息をひそめてうずくまっていたモーリスは心臓が痛くなるほどでした。ようやく足音が遠ざかり、助けてくれたひとが上がってきたときには、モーリスはひとりでは立ち上がれなくなっていました。そのひとはそんな様子を見ても笑ったりしないし、またことさらに気遣うような顔つきもしませんでした。そのかわり、ついと手をさしだしていったのです。
「もし音楽が好きならいっしょに来ない? これから演奏するんだよ」
 モーリスはうなずいて、その大きくて、けれどとても繊細な手を握ってたちあがりました。
 そのひとは音楽家で、絵も描いているひとでした。夏の間、友達といっしょにお祭りに参加しながら旅をしているそうです。ここは興行主さんの貸してくれた家で、仲間たちみんなで住んでいるのでした。
 モーリスは、いろんな役目のひとたちがひとつになって、お祭りをもりあげていることに気がつきました。今まではお客様でしかなかったものですから、舞台裏のことはなんにも知らなかったのです。
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