唐草銀河

「掌編・短編」
楽園の箱

楽園の箱 10

   モーリスはわたしと違って感じやすい、やわらかな心の持ち主でした。それでいていろんなことに執着して、かわいそうなほどこだわるのです。おじいさんの船を、お父さんが売り払ってしまったことにいちばん傷ついたのも彼でした。おじいさんは、パリで亡くなったのです。海の見えるこの家でなく、病院のベッドの上でした。奇しくもそれは12月30日、聖ヤコブ様の埋葬された日のことです。
 だから、ふたりだけになってすぐ、モーリスがその箱をこちらにさしだしてくれたときには、正直なところ、わたしは驚いたのです。箱をあけると、なかにはすっかり茶色くなってからからに渇いた猫じゃらしと、見覚えのある金色の貝殻が入れてありました。
「モーリス?」
「あげるよ」
「でも」
 わたしは貝殻をとりだして、それをモーリスに返しました。わたしもその片割れをもっています。わたしのは、おじいさんがくれたもの。もとはおばあさんのものだったもの。ふたりは貝殻を交換して、もっていたのです。
「ねえ、モーリス」
「うん」
 モーリスは目を閉じて、波の音をきいていました。松林をぬける風の音。湿った夜の空気。そんなものに、モーリスは自分自身をあずけるようにして立っていました。開け放した窓からの風が、かぎ裂きのあるレースのカーテンを揺らしています。油煙のついたままのランプのそばに、真っ白な、掌ほども大きな蛾が落ちていました。わたしがそれを手にしようかと思ったとき、モーリスが目をあけて言いました。
「ジャックだ」
 そうでした。
 やっと、ようやくにして、モーリスは猫の名前を思い出したのです。
「マルゴ、やっぱり、君だったんだね」
 わたしはしかたなくうなずいて笑いました。ごまかしたわけではないし、モーリスを見くびっていたわけでもありません。わたしならきっとよけいなことをして、と口にしてしまうところですが、モーリスはそんなことをちっとも思っていないようでした。感謝と了解のしるしに、モーリスはわたしに向けてぎこちない笑顔を見せました。
 わたしたちの目の前に、クレヨンでかいた小さな猫の絵があります。むきだしの漆喰壁に黒いクレヨンでかいたものです。おじいさんの写真を見て、モーリスがかきました。おじいさんが飼っていた猫。あの美しいセピア色に変色した古びた写真。まるで、往年の映画スターのようにポーズを決めた、それは姿のいい猫でした。
 おじいさんの船に乗り、その手から魚を食べた猫。嵐になる日は決まって、おじいさんの足にまとわりついて離れなかった猫のジャック。おじいさんはブルターニュのひとでしたから、わたしたちと同じように猫をこっそりジャックと呼んでいました。   
 フランスでサンジャックと、このスペインでサンティアゴと呼ばれる偉大な聖ヤコブ様から名前をいただいたのです。猫に聖人さまの名前をつけるなんて、と思う方もおいででしょうが、それは本当に、ほんとうに特別な猫だったのです。
 そして、モーリスがジャックをモデルにしてかいた猫には金の輪っかと翼があります。あとでわたしが描きくわえました。あの夏、サンティアゴ大聖堂で買ってもらったカードの天使様とそっくり同じにうつしたのです。さきほどもいいましたが、まるで聖人か天使様のように神々しい猫だと思えましたので。
 わたしたちは、ジャックを囲んでよく遊びました。もしかしたら、遊んでもらっていたのかもしれませんが。
 モーリスがそのことをすっかり忘れてしまっていたのはわたしにはさみしいことでした。ですが、忘れていてくれたからこそ、わたしはモーリスにこうして御守りをつけることができたのです。だから、それでよかったのだと思います。
 鈴の音がします。足音のしない猫には、鈴をつけておかないと。
 猫はゆっくりと、木でできた扉から顔を出しました。
 さあ、わたしたちのジャックを、天国のおじいさんに返すときがやってきたようです。
「待って」
 モーリスが、猫を抱き上げようとしたわたしに言いました。
「ずっといっしょにいるって言ったんだよ」
 泣きそうな顔をしているかと思いましたが、モーリスはしっかりとした、断固とした顔つきでわたしを見おろしていました。
「でも、モーリス、この猫はもう」
「それでも」
 わたしが、この猫がもう以前の猫ではないことを説明しようとしたのを、モーリスはとどめました。モーリスも知っているのです。じゃあ。
「モーリス、猫を受け取ったのだから、返さないとならないわ」
「べつのものでも、いいじゃないか」
「そんな」
 わたしはそれ以上、言葉をつぐことはできませんでした。モーリスがしゃがんで猫を抱きしめ、わたしの持っている箱を見つめました。




次回更新は12月31日(金)です。最終話となります。どうぞお楽しみに!
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