唐草銀河

「Q.V.Q.-キャトルヴァンキャトル-」
Ⅰ 「夢語り」 

Ⅰ 「夢語り」 (2)

   こんな夢を見たのは締め切りのプレッシャー以外の理由もある。なにしろわたしはピンチョンの『ヴァインランド』の主人公、プレーリィと生年月日が一緒なのである。ここであの本を読んだひとは、プレーリィの生年と生まれ月は記されていたけれど、日にちは書かれていなかったと反論くださることだろう。たしかに、書かれてはいないのです。ただし、自身がものを書く人間として、小説家の「生理」というものは想像できる。プレーリィが牡牛座であると明記されていること、そしてピンチョンが1937年の5月8日生まれの同星座であることをもってして、あの少女は1984年夏に14歳の、5月8日生まれであると言い切ってもよいと思う。小説家のナルシズムというのは、ある種の(それとも文字通りの?)ヒロイズムとして発露されるものではないかと思うので。
 もうひとつ、この夢の契機は、わたしがレイフェル・A・ラファティの姪っ子になりたいと強く切望していたからに違いない。翻訳者・大森望さんいわく「最高のSF作家」であるラファティは、わたしの人生を変えてくれた。言いかえれば、わたしの「小説」を変えてしまってくれたのだ。不満タラタラな言い種は、いまだわたしが「自分の小説」を満足のいくような形でものしていないという表明であって、彼への恨みゆえではない。
 そのラファティも登場した。このあたりから、夢の進行に加速度がつく。おそらくどんどん覚醒に近づいていたに違いない。ラファティおじさんはわたしの母親の弟で、小説は書いておらず、機械メーカーに勤めていた。このへんは45才まで電気技師であったという現実のラファティの暮らしぶりを遵守したものであったらしい。季節の変わり目にふらっと現れては、学校はどうだとか背が伸びて大人っぽくなっただのという一切の社交辞令もなく、とびきり面白い話をしてくれた。お小遣いはたまにしかくれなかったけれど(これは、けっこう切実に期待していたのだが)、ボストンバッグに本を乱雑に詰めて運んできて、おじさんの帰ったあとのわたしは授業中であろうとお風呂の中であろうと関係なくその本を読み耽り、めったに娘の生活態度に口に出さない父親が、ご飯も食べずに本ばかり読んでいるのでついには怒り出すことも幾度かあった。もちろん、食事なんてそこのけで本を読んでいるのは当然のこと父親本人の癖でもあり、わたしがそのことを学級委員長らしい生真面目さで糾弾すると、むっつりとした顔をしてコドモは駄目だと言い張って、まことに大人らしくない態度に出ることもままあった。そしてまた、おじさんはこうした父娘のいざこざなど知らぬ顔で(もしくは知っていて?)、またしこたま本を運んでくるという繰り返しが劇中劇的に演じられていた。
 この、夢の「時間」の奔放な振る舞いを再現する能力が自分にないことがとても悔しい。さらにいえば、すでにして夢で見たものとして固まってしまった「絵」を、小説の背景として落とし込み、整理し、一定の「世界観」に移し変えることも困難を極めた。ポストモダン文学というものであれば可能なのだろうがわたしには無理、諦めた。なにしろ締め切りは迫っているし、間尺に合わない。といいながら、この夢をみた朝のわたしは書きたいという欲望にはちきれんばかりに膨らんでいた。




ランキングに参加しています。「面白い」と思われましたら押してください。励みになります! 


スポンサーサイト



*Edit ▽TB[0]▽CO[0]   

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)