唐草銀河

「Q.V.Q.-キャトルヴァンキャトル-」
Ⅳ 『Q.V.Q.』

Ⅳ 『Q.V.Q.』 (6)

   綾乃に聞いてた通りのこたえだというのに、用意してたからかい言葉が鎖骨あたりで立ち止まる。それをじっくりとおびき寄せようと、何かをきゅうに思い出したみたいに鳴き出したひぐらしの声に全身をあずけるように目を閉じた。この間は、さっきの沈黙よりいくらかやわらかく、だいぶ過ごしやすかった。ほんとは逆のほうが、よかったな。そう意識した瞬間、刺すような痛みが鼻の奥に襲いきた。自分の身体に裏切られた気がして、予想もしない反応にとまどったあたしが下を向くと、頭のうえに声がおりてきた。
「翠子ちゃん、じゃあ次のを読ましてよ」
 気遣わしげな、それでいて突っぱねるような、ぞんないなとこはないのにすんなりと寄り添おうとはしない言い方だった。昔はよくこういう声を聞いた。まだ神くんが高校生だったころのこと。18歳の神くんと12歳のわたし。高校生の男の子には小学生の女の子にかまける暇はないはずで、あたしはそれがわからなくて、神くんといるのが楽しくて面白くて無闇に彼の家に行き、傍によっては疎ましがられた。ううん、正確にいうと疎ましがられただけじゃない。神くんは優しかった。やさしすぎた、ただの近所の女の子相手にしては。だけど時々ふいに邪険にされた。神くんは声を荒げるようなタイプじゃないし、同い年の男の子みたいにふざけた真似もしない。だからこそ突然の不機嫌、きゅうにおしだまった横顔はこわかった。何も言わない。話さない。もう来るなとも言わず帰れとも口にせず、けれど確かにあたしを疎んじた。だからこそあたしは当惑し、わけのわからなさに彼を恨んだ。そして、それを察した神くんはあたしを避けた。
 ……いま、あたしは少し、ウソをついた。
 あたしは何かを察することを避けていた。何もかもを都合のいいように受け止めつづけたかった。わかりたくなかったから、目をつむっていた。
 でも、そういうふうにはいかない。あたしはよくても、神くんはそうはいかなかった。の、だろう思う。
 あたしと神くんは6歳違いだ。20歳と26歳なら何の「問題」もない。
 けど、ゲンジツには、あたしは中学生で神くんは二十歳なのだから……だから、そのせいで、ダメだったと思うのは、きっと……。 
「……次、書けるか、わか、……ない」
 あたしは顔をあげられず、片手で口を覆った。とりまく空気を何倍にも濃縮したような熱の篭った吐息がてのひらに触れて、自分のからだの何処にこんな煩わしさがあったのかと不思議になった。ポケットからハンカチを出すのはわざとらしくてみっともない。頬に濡れた感触があって、くすぐったいのは我慢する。もう絶対、泣いているのは気がつかれてる。それなのに、神くんの声はすこしも乱れず、まるであわてた様子もなく、ことさらにゆっくりと続いた。
「一作書きあげられたなら、二作目も書けるよ。十でも百でも、たくさん書ける」 
 それは、あたしへの応援ではなくて、パパへのものだ。あたしはずっと、ママが帰ってこない限りパパはもう書けないんじゃないかと思ってきた。パパの小説はママとの恋愛話で、あたしがもうすぐ生まれるっていうシーンで終わっている。あたしとパパは、あの家で、ママの幻影を大事にだいじに抱えて守って暮らしてる。あたしはもう、それを壊したい。パパのために「ママ」が必要だと思ってたから、あたしは「パパの妻であるママ」を守ってきた。パパの想像力と、現実のママと、どちらが確かなものかって聞かれたら、パパのつくったものだから。でも、あたしは、あたしの「ママ」が欲しい。そしてママは、たぶん、そのどちらでもない自分だけの自分が欲しいはずだ。
 ひとは、どんなふうにでもゲンジツを作り変えられる。あれを読んだママは、パパと一緒には暮らせなくなってしまったんじゃないかと思う。美化して書かれていたわけでもない。ありのままの赤裸々さとも違う。パパの作品はそんなたんじゅんなものじゃなかった。それでも、そこに描かれたのは創作物、幻想、つまりママ「本人」ではないから違うって思い切れもしなかったんじゃないかな。パパがあれを書いたのは、ママとの宝石みたいな日々をタイムカプセルのように閉じ込めてしまいたかったからだと、ママはきっと気がついた。
 ときは、流れる。ひとは変わる。そして、死ぬ。さらには忘れられてしまう。なかったことに、なる。
 パパはそれを止めたくて、どうにかしてそれに抗おうとして、書いた。でも、ママは。
 ママは……わからない。
 ホントウニ、ワカラナイ。
 あたしは、ママの気持ちを想像するだけだ。パパの気持ちにしても同じ。あたしは小説を書き出したら何もかもがわからなくなった。この、想像力ってなんだろう。正しいかどうか確認しようとして尋ねて、そうやって得たこたえってあたしが思ってた当初の「こたえ」で合ってるのかしら? たぶん、違う気がする。そうやってなにかを固定して同定することって意味があるのかどうかもわからない。考えれば考えるほど、遠く、どこまでも遠く離れていきそうで、でも、考えるのをやめることもできない。
 あたしは、ただ、両親が愛し合っていたのに仕方なく別れたっていうセンチメンタルな「物語」が欲しいだけ。真実はもしかすると、ただたんにママの浮気かもしれない。パパに愛想尽かししたのかもしれない。パパの小説なんて全然ちっとも関係なくて、性格の不一致とかそういう理由のほうがきっと正しいと頭では、わかってる。
 ただ、あたしは、おはなしってそんなふうにできているものなんじゃないかと思うことがある。なんかちょっとさびしいけど、いじましいというか、もしかするとさもしい欲望かもしれないけど、でも、そんな気がする。目の前で女の子が泣いているっていうのに、困った顔をしない神くんがやっぱり好きだと思う、この報われない気持ちがあたしにものを書かせてくれる。それでも。小説のなかで、神くんはあたしの彼氏にだってなれる。けど、あたしはそんなことをしない。そんなこと書くなんてみっともない。みっともないよりは、悪い子のほうがずっといい。あたしはもっと嫌な、汚い、意地悪なことを考えた。誰にもいえないようなことを眠れないほど想像した。神くんはきっと、あたしとは何も出来ないから家を出たのだ。神くんの彼女はあたしの身代わりみたいなものだ。そういうふうに考えて、スッキリするかと思ったらしなかった。もしそうだったとしたら、いろいろ酷いことになる。名前も知らない彼女に悪いという意味じゃなくて(悪いと思うくらいなら考えるのをスッパリやめる)、神くんがヒトデナシだってことになるからでもなくて(神くんはけっこうヒトデナシだ。やさしい顔していつも、あたしがいちばん言われたくないことを平気で言う。それが「本当の優しさ」だとしても、あたしにそれをしないでほしい。そういうことをするからヤヤコシクなるのに!)、それじゃあ「好き」って感情の正体がおかしなことになるからだ。パパとママと同じ。パパはママを今でも「好き」なはずで、ママ以外の女の人には興味がなくて、あたしはそういう一途なパパが大好きで、けど、ママはもう出て行ってしまったのだから、パパは今のママのことは何も知らないわけで、パパの好きなママはやっぱり「幻想」で、もしも一緒にいたときだってそうなのだとしたら、つまりはパパの思うようなママとママが思うママはベツモノで……それはただ、幻想を押し付けあってるってだけのことになる。なると、思う。けど、あたしの思う「あたし」って何のことだろう? 言葉でこうって書いても、口にしても、言い尽くせるはずもない。あたしのこの瞬間のこの頭のなか、気持ち、落胆と安堵と、そうしたあれこれだって今、じぶんで説明できてない。瞬間のことだって無理なのに、あたしの「ぜんぶ」なんて、そんなの無理だ。なのに、あたしはそれをしようとして、たぶんきっとこれからもおはなしを書きつづける。ひどく勝手だと思う。傲慢だし、勘違いも甚だしい。それくらいの分別はある。でもやめられないし、きっとやめない。なんだかひどく申し訳ないようだけど、そんなふうにしか、あたしにはできない。それに、それにね、ここで神くんに「好き」って言うくらいなら、神くんが主役の「やおい小説」を書くよ。そのほうがずっとまし。なんかおかしいかもしれないけど、もしかしてただの弱虫なだけかとも思うけど、ここで神くんに何か言われたくないの。言わせてしまうのは嫌なの。言われたら、あたし、きっともう神くんを許せなくなる。神くんを、じゃなくて、ほんとは「あたし」のことなのに、神くんをキライになることでやりすごそうとしてしまう。あたしはそうやって、神くんと向き合って話したり笑ったりできなくなることを選んでしまいそうになる。でもそれはきっと、綾乃がいう「逃げてる」な気がする。あたしはだから、じぶんの気持ちを口にしたりしない。悔しいけど、ううん、実はほっとしてるんだろうとわかるけど、もうきっと何もかも神くんには伝わってしまってるはずで、だったら何もかも言えばいいともやっぱり思えなくて、今は、そんなふうにしかできないから……。



ランキングに参加しています。「面白い」と思われましたら押してください。励みになります! 

スポンサーサイト



*Edit ▽TB[0]▽CO[2]   

~ Comment ~

この報われない気持ちがあたしにものを書かせてくれる 

↑そうだと思う。
芸術って、狂気と紙一重だもんね。
本当に人を感動させる詩を描く少年は、それを描いて死んでしまうんだ、っていつかどこかで聞いた。
だから、中途半端に落ち込んで、生きようとしている人の作品は心を打たないんだって。
素晴らしいし、綺麗だけど、それだけだ、と。

ものすごく納得したけど、それって、実は恐ろしいことだよな、とも思う。
魔女として断罪され、火あぶりにされる女性を大勢が眺めている。
そんなシュールさを伴って、更に、狂気を美しいと感動できるだけの‘狂気’に至るモノを本当は誰でも抱えているって証明じゃん、と思えて。

じゃあ、ヒトってどんな生き物?

怖いのか悲しいのか、ウツクシイのか、さっぱり分からない。
で、…磯崎さんが形容詞に時々カタカナを使うのを拝見して、その視覚的威嚇…いや、威嚇じゃなくって、視覚的効果? うおおおう、実は日本語が不自由なのでうまく表現出来ないが、その衝撃になんとなく打たれて、ちょっと拝借してしまっている気がします(^^;

すんません、思いっきり意図したつもりではないですが、なんとなく、盗用してしまいました~~~
すみません、すみませんっ!!!

翠子ちゃん、なかなか、苦しい思考回路を持ってますね。
やはり、幼い頃の親の影響ってすさまじいものです。
母親をそういう形で失うってどうなの? とその、母親の行動にちょっと疑問。そして、彼女の親って…
まぁ、むしろ、だからこそ、彼女はその境遇の中で物語を頼みに生きているんだろうな。
頼み、ともちょっと違う。でも、支えともちょっと違う。
息をするために、描いている。
なんか、そんな感じっすかね。

好きな人との関係を築く大本は両親との関係だよな、とか。

Re: この報われない気持ちがあたしにものを書かせてくれる 

> ↑そうだと思う。
> 芸術って、狂気と紙一重だもんね。
> 本当に人を感動させる詩を描く少年は、それを描いて死んでしまうんだ、っていつかどこかで聞いた。
> だから、中途半端に落ち込んで、生きようとしている人の作品は心を打たないんだって。
> 素晴らしいし、綺麗だけど、それだけだ、と。

綺麗だけど、っていうのは、たしか岡本太郎が藝術はきれいじゃだめっていってます
そうだとわたしも思います
美しい、ならアリでしょうが

> ものすごく納得したけど、それって、実は恐ろしいことだよな、とも思う。
> 魔女として断罪され、火あぶりにされる女性を大勢が眺めている。
> そんなシュールさを伴って、更に、狂気を美しいと感動できるだけの‘狂気’に至るモノを本当は誰でも抱えているって証明じゃん、と思えて。

と、ここで美しいがでてました!

> じゃあ、ヒトってどんな生き物?
> 怖いのか悲しいのか、ウツクシイのか、さっぱり分からない。

わたしもわからないです
わからないから書いてるってところもかなりありますね

> で、…磯崎さんが形容詞に時々カタカナを使うのを拝見して、その視覚的威嚇…いや、威嚇じゃなくって、視覚的効果? うおおおう、実は日本語が不自由なのでうまく表現出来ないが、その衝撃になんとなく打たれて、ちょっと拝借してしまっている気がします(^^;

威嚇、いかく、そうかも
注意喚起という意味合いもあるけど視覚的に驚かせたいというか、思考のスピードを落としてたちどまってもらいたいんですよね
>
> すんません、思いっきり意図したつもりではないですが、なんとなく、盗用してしまいました~~~
> すみません、すみませんっ!!!

いえいえ、どうぞドシドシ使ってやってくださいませ
わたし、表現技術とか技巧なんてものは盗み盗まれてなんぼ、というか、
ぶっちゃけそんなことで盗作とか盗用とかいって相手を責めたりするのケチ臭くて嫌いです(爆笑 

> 翠子ちゃん、なかなか、苦しい思考回路を持ってますね。
> やはり、幼い頃の親の影響ってすさまじいものです。

そうですね、それは確実にあります

> 母親をそういう形で失うってどうなの? とその、母親の行動にちょっと疑問。そして、彼女の親って…

ほんとねえ
機能不全家族ばかり書いておりますよ、まったく!

> まぁ、むしろ、だからこそ、彼女はその境遇の中で物語を頼みに生きているんだろうな。
> 頼み、ともちょっと違う。でも、支えともちょっと違う。
> 息をするために、描いている。
> なんか、そんな感じっすかね。

ああ、
なんかもう、
なんかもう、なんかほんっとうに、fateさんには理解されまくっちゃってるなあ>息をするために、
ありがたいような、気恥ずかしいような、
ふうう、
うれしいです


> 好きな人との関係を築く大本は両親との関係だよな、とか。

ですねええええええ!!!
管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)