唐草銀河

「掌編・短編」
乾杯

乾杯

   指をそろえて。そのほうが綺麗に見えますよ。
 お茶碗をもつ手許にとどいた先生の声を思い出す。初めてのお茶会を再来週に控え家でも練習をするはずが、集中力がない。やっとお薄を点てられるようになったわたしを、先生は「亭主」にしてくれた。つまりお客さまの前でお点前を披露するひとだ。お茶会には、幼馴染の美樹がメールしまくったせいで久しぶりに中学時代の友達がたくさん集まるみたい。由香里のおかげでいい集合場所ができたよね、と彼女は笑った。
 美樹に誘われて一緒にお茶をはじめたけど、彼女は仕事が忙しくて来られなくなってしまった。美樹はお茶会には何があろうと絶対行くからと、デートより女友達を優先させるのよ、と気取って肩をすくめてみせた。美樹に悪気はない。わたしが陽一とケンカしてるのを知らないんだもの。
 そんなことを思ったせいか、お茶碗の手前、横、横ともつ手がみっともなく震えた。あれは井戸茶碗というのだそう。とても大きくて重い。口はやたらに広いし、ざらざらしてる。いったい幾らするんだろう。高いんだろうな。落としたら大変。そう思うと余計に緊張してしまう。
 先生の姿を頭に思い浮かべる。還暦を越してだいぶたつとおっしゃったけれど、とてもそうは見えない。ピンクと呼びたいような上品な朱鷺色の鮫小紋がよく似合う。すっとのびた背筋。膝のうえに置かれた白い手。美樹がやめてもお茶を続けたのは、いつかああいう女性になりたかったからだ。
 さいきん、ふとしたときに相手の手が気になる。ものの受け渡しや用を頼むときなど、声や表情はつくろってもそのひとの気のなさやぞんざいな態度が、そこに正直にあらわれる。
 ちかごろ、会社の先輩となんとなく上手くいかない。最初は気にしすぎかと思った。本来わたしが受け取るはずの連絡を立て続けに忘れられたりして、そのときは忙しい時のうっかりミスかと考えた。緊急の問題ではなかったし後からフォローできた。けどこないだは、先輩が連絡ミスしたからとかわりにやってくれていた。わたしはそれも後から聞いた。正直、釈然としなかった。そんなことが幾度もあって、先週、営業のもらったお菓子が自分だけまわってこなかったとき、嫌な気持ちがした。
 その話を陽一にしたとき、うんうんとうなずきながら、彼の右手の中指はテーブルをたたいていた。そんな小さなことなんてどうでもいいだろうと、それよりもっと違う話をしたいと、その手が言っているように思えた。
 由香里さん、持ち固めてごらんなさい。
 砂色と白い釉薬に抹茶色がよくうつる。わたしはそれをじっと見たはずだ。先生が、茶碗をとりあげたわたしに言う。
 貴女の手はお人形のようだから大きいお茶碗は持ちづらいでしょうね。でも、しっかりと持ち固めればそれほどのことでもありませんよ。
 でも……。
 甘えた言葉が思わず口をついて出てしまい、恥ずかしさにうつむいた。いまこうして思い出しても情けない。
 わたしはあまり要領がよくないし、美樹みたいに積極的なタイプじゃない。先輩の不機嫌はそこらへんに原因があるのだとは薄々わかってる。わたしに仕事を任せるのが心配で、一々説明するのが面倒なのだ。
 由香里さん、きちんと持てば平気ですよ。おっかなびっくり触るから危ないのです。
 思いきってお茶碗をもちあげて両手でぐるりとくるみこむと、びくびく持っていたときよりもずっと軽い。いくどか手のうちでころがすと、指先をひっかけそうなざらついた突起も気にならなくなった。
 お道具を取り落とすときは、目の前のことに気持ちがおろそかなときですよ。何事も、ひとつひとつでいいんです。一度にたくさんのものを持つことはできませんからね。
 飲みおえたわたしに、先生は微笑みながらそう言ってくださった。
 目の前のことに気持ちがおろそか、か。いつもわたしはそう。あれもこれもと欲張ってしまいには全部いらなくなってしまう。
 美樹は高校までピアノを続けたけど、わたしはすぐにやめてしまった。ラインストーンをつけて似合う、彼女の大きくて美しい手が羨ましかった。爪も小さいわたしには、ちっとも映えなかった。合コンで知り合った陽一は、そんなわたしを、爪がキラキラしてなかったひと、と言った。形をととのえ磨くだけにしたのが目にとまったそうだ。
 メールじゃなく、電話しよう。会えるなら会ってもう一度、向き合おう。もういいって立ちあがったのはわたしのほうだ。陽一はわたしが何について怒ってるか、わからないままだったかもしれない。それに、彼のほうも別に話したいことがあったみたいだし、ちゃんと話し合ってからでも遅くない。先輩のこともそう。自分の仕事は自分できちんとやりとげたい。そう言おう。
 そして、美樹には美味しいお茶を飲んでもらいたい。きっと、あの手には井戸茶碗がよく似合う。お茶会が終わったら、わたしがこれからすることを、彼女に聞いてもらいたい。
 それから一緒にビールを飲もう。大ジョッキを、ぐぐっとね。

                   終
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*Edit ▽TB[0]▽CO[2]   

~ Comment ~

とてもすうっと心に入り込みました。 

何が?はい、言葉のひとつひとつが。
うう!fateに言われているようだった…。
目の前のことをおろそかにせず。
そうです、まさにそれ!
今、目の前にあることを精一杯尽くす。それしかないんだ。手の届かないことに憤っても、終わったことを嘆いても、まだここにない未来に憂いを投げかけたって仕方がない。
それを、さらりと揺れ動く乙女心で綴られて、おお!と感嘆いたしました。
心根が綺麗だから、小石を投げ込まれた水面のように揺れて、そこに映すものを歪ませてしまう。だけど、その湛える水は澄んでいるから大丈夫!そんな物語でした。
良いですね、お茶!
それからお花も。
日本の伝統文化には移ろうものを刹那で捕える技法がいっぱいです!
ああ、良い世界をありがとうございました(^^)

Re: とてもすうっと心に入り込みました。 

たいそうなお褒めの言葉に舞い上がっております~!!
わたしは少しばかりお茶を習っていまして(いまちょっとお休みしてしまってるのですが)、お茶室の空気とかお作法などにこころひかれるのです。
目の前にあることを精一杯尽くすって、簡単なことなようですが難しくて……
「移ろうものを刹那に捕らえる」まさに、そういう側面があるかと思います。
こちらこそ、いつもいつも素敵なコメントをどうもありがとうございます!
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