唐草銀河

「夢のように、おりてくるもの」
夢見ることさえ忘れはて

夢見ることさえ忘れはて 1

   あかちゃんができた。

 あのひとはそう口にした。旦那とはしてないって言ったのに。

 うそつき。

 あたしはそう罵らなかった。かわりに、おめでとうと返した。すると彼女はほっとしたようにテーブルのうえで組み合わせていた指をひらいた。上品なネイル。その睫の長さ、ごく丁寧に入れられたアイライン、それ相応の年なのにしみひとつ、しわひとつない肌を眺めた。これが最後だと思いながら。
 その、いかにも贅沢に拵えられた女のすべてを眼に焼きつけようと見つめた。

 そういえば、あたしのあごのラインにできた吹き出物を、彼女だけが愛してくれた。男たちの誰もが褒めた肌でなく、あたしの穢れをよろこんだ。

 あたしが処女でなくなったのは高校生のときのこと。絵の先生のお屋敷で。棚に並べられた岩絵具が目の端でひかるのを愉しんでいた。あたしは美大に行くはずだった。とりやめたのは、先生があたしと結婚したがってストーカーまがいのことを始めたから。先生はそこの講師だった。いまは教授になっただろうか。
 級友の結婚式でひさかたぶりに地元に帰り、ホテルで先生と出くわした。個展会場には奥様もいらした。結婚されたのはうわさで聞いていた。でも、どんな人かは知らなかった。手の込んだ染めの訪問着をお召しなのに主婦だとすぐわかるほど指先は荒れていた。

 まあ、こんな綺麗なお嬢さんが生徒さんだったなんて。

 振袖をきたあたしは娘らしく、含羞をたたえて微笑みを浮かべた。このひとは、あたしと先生のことを知らない。そうとも思えなかった。女というものはおしなべてみな勘がいい。会場に集うひとたちの話し声をかいつまむと、奥様は著名な染色作家の娘だった。お見合い結婚。その言葉が耳にはいってすぐ、後ろから声がかかる。

 元気にしてましたか。どうしてるかと。

 あいかわらず声は素敵だった。けれどあのころと較べてだいぶ太っていた。ただ、そのほうがこの絵にはあっている。あたしは、先生の描く少し怖いような、醒めた眼をした女性像が好きだった。けど、この会場にはそういう画(え)は殆どない。かわりに優艶な花たちで占められていて、しかも売れていた。花が、本当にみごとに咲ききっていた。朽ちる寸前の豪勢な艶やかさ。いかにもしどけなく、それでいて危なげで、女性像よりよほど妖しかった。

 おかげさまで元気にしております。このとおり、まだ結婚はしてないですが。

 袖を見せびらかしておどけると、先生はやわらかく目を細めた。焦がれるような視線は追ってこない。足許に屈みこみ頭をたれて懇願した泣き顔を、あたしは忘れてはいない。けれどこのひとはなかったことにしたようだ。
 当たり前か。
 奥様はこちらを見ていなかった。知っていても知らなくても、妻の座は揺るがない。あたしの裸の画を、先生は燃やしただろうか。燃やしていないはずと思うのはこちらの憾みか。
 欲しいとも、思えなかった。
 昔のこと。
 遠い、むかしのもの。
 ただ、先生は上手だった。あれから付き合った彼氏たちよりずっと、いやらしかった。
 だからといってまた寝たいとも思わない。ひとの男には興味がない。鼻のあたまの白粉が剥げているだらしない女を選ぶ男なんて、あたしの知ってる先生じゃない。
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