唐草銀河

「夢のように、おりてくるもの」
降りしきる花と見まがう夢

tea or coffee

   おれの恋人は早朝、きゅうな呼び出しで家をでていった。彼女へ挨拶もなく。消耗してるだろうから寝かせておいてあげてとだけ言い残し、あとで電話するとおれの耳に囁いて。引っ張られた癖毛をかきあげて背を覆う黒髪を見送った。掴みよせてくちづけようかと悩んだがやめた。遅らせたくなかった。
 ああいう顔のときは「仕事」にしか意識がない。重要な呼び出しだとは理解した。だからといってほっておかれるほうの気持ちにあまりに頓着しなさすぎると思ったが、それだけ信頼されているのだとわかってもいる。そしてまた彼女も、昨夜とちがい寛いだ、足首までかくれるワンピース姿で居間に顔を出すと家主の不在に苦笑しただけで驚いた顔ひとつしなかった。
 かんたんな食事をすましコーヒーをさしだすと、彼女は少し思いつめた様子でおれをみた。 
「ご家族に、彼とのことは話してあるの?」
 至極単刀直入だった。おれはそらぞらしく誤魔化しはしなかった。
「仲のいい友人と暮らしているとは伝えてありますよ。おれはこの街に出てきてからいちども家に帰っていません。帰るとすれば何かあったときでしょう」
  それだけで、だいたいのところを把握したようだ。彼女の仕事について少しばかり質問してみようなどと考えていたのをやめた。ものおもいに沈む横顔、 長い髪を片手ではらいあげる仕種がとうに忘れていたあるひとを思い起こさせた。何かを諦めた人間の、洗い流されたような表情だった。厭な予感に小さく心臓が鳴ったのを無視して化粧気のない顔へと問うた。
「ほんとうに離婚するつもりですか」
 おれの「お返し」に、彼女はうっすらと微笑んだ。それからおれを見ず、ただ目の前をみつめて口にした。
「いざとなると、言いたいことってなかなか言えないものね。あたし、彼じゃなくてあなたに会いにきたのよ。でもそれはあたしの覚悟のなさでしかない。みっともないから言わないわ」
 おれは黙っていた。なにも言う必要はなかった。
 彼女はコーヒーに口をつけた。そして小さく、美味しいけど苦い、と子どものようにわらった。それから目を細め、
「文化祭の出し物の件で彼がうちに来たことがあるの。コーヒー好きじゃないって言ってて、あたしも紅茶のほうが好きってはなして。なんでもない、小さなことだったんだけどよく憶えてる。不思議ね」
「そういうことはありますね。まだ付き合う前、コンビニでいっしょに働いていたとき、あれはクリスマスでした。休憩中におれに缶コーヒー渡してくれて。あのひと商品の名前おぼえるの苦手なのに、しかもじぶんが飲まないコーヒー、ちゃんとおれの好きな銘柄くれたんですよね」
 あのひと絶対忘れてますよ、とおれがつけたすと彼女が軽やかな声でわらった。それから真顔で、
「意外とおぼえてるかもしれないから、帰ってきたらきいてみれば?」
 おれは首をふった。すると彼女はおれをまっすぐ射抜くように見た。
「あまりものわかりのいい顔をしないほうがいいよ。あのひとたちは夢使いであること以上に大事なことはなにひとつない。けど、あたしたちは違うでしょ?」
 それにはこたえなかった。かわりに、
「おれの夢使いはあなたの夢使いとは違う人間です」
「……そうね」
 彼女は素直にうなずいた。そして顔をうつむけた姿のまま長くいた。おれは席を立った。それ以上気を利かせることはできなかった。おれは彼女のよい友人になれない。それは、居間で声を殺して泣いている当人のほうがよく理解してくれていたように思う。

 それから彼女は来たときとうってかわってTシャツにジーンズ、スニーカーという姿で出て行った。何処までも遠くにいけそうな格好だった。

 ケイタイを置いて。

  出る前に紅茶を用意すると、彼女はここにきてよかったとうっとりと微笑んだ。行き先以外にいくつか尋ねたい件があった。おれはそう遠慮なく口に出してみた。彼女はまた今度ねとうなずいた。おれは辛抱強く、次をたずねた。彼女はおれの意をくんで、あなたに迷惑をかけないといった。続けて、あたしもじぶんの仕事は大事なのよ、あなたと同じ、と笑ってみせた。それで厭な予感は払拭された。

 去り際に、あの気難しいひととよくやってるわねとからかうような眼差しを向けてきた。あのひとおれ無しではいられない身体ですからとこたえると、彼女は目を丸くした後に弾けたようにわらいだした。
 おれは別にうそをついたつもりはない。

 彼女が、おれの言いたいことを汲み取ってくれたならいいのだが……。

 帰宅した恋人に紅茶を淹れた。
 花のような香りに目を伏せた彼が、その瞬間、おれでなく彼女に想いを傾けているとわかったが気にしなかった。
 おれたちはいま共にいる。それ以上のことはない。
 
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