唐草銀河

「遍愛日記」
3月23日 午前

3月23日 午前 (63)

   誰か助けて……悲鳴のようにそう思い、でも、こういうときに誰も助けてくれないのが現実だと痛いほどに感じる。それに、そんなのおかしいと訴えても、ミズキさんには通じない。だから、震える唇を指でおさえ、肩で息をしながらも、言い返す。
「私には、なんの権利もないの? こんな、二者択一しかなくて、それ、私に人権がないみたいじゃない」
「姫香、ちゃん?」
 そのときはじめて、ミズキさんの表情が動いた。
「選べっていって、私にその権利があるようなこというけど、ウソだよ」
 私の非難に、ミズキさんは顔を伏せた。俯きかげんの面が泣きそうに歪んでいるのを見て、鎖骨の下がきゅうっとした。
「……僕が、助けてもらいたいってことが、君にはどうしても、わからないんだね」 
 そのとき、鳥の羽ばたきに耳をとられた。さっきのヒヨドリだ。見ればまだミカンはそこにある。全部は食べきらないものなのだと、どんなふうに嘴でつついたのか確かめたくなった私は、その瞬間、目の前のひとを忘れたらしい。
 ミズキさんは私の視線をおってから、頭をふって小さく声をもらした。
「……君はつくづく運がいい。浅倉だ」
「え?」
 たしかに、表の門の前を横ぎるあの足音は間違いない。
「とりあえず預かってて」
 顔をあげて返そうとすると、
「もう聞こえる。揉めたくないでしょ?」
 囁きに、否応なく理性が反応した。
 ミズキさんはひらりと身を翻し、何事もなかったように玄関へむかった。私はポケットに指輪を落とし込み、ひとさまの形見をぞんざいに扱いかねて、縁側においたバッグからハンカチを取り出した。そっと押さえるように涙をふき、裏表を返して指輪を包み、内側のポケットの隙間に押し込んだ。箱が欲しいと思う自分に笑えた。
 ミズキさんは追ってきた私をふりかえらずに、後ろ手に門をしめた浅倉くんへと声をかけた。
「おかえり。無断外泊男」
 その瞬間の、彼の顔はなかなかの見物だった。でも。
「なに泣かせてんだよ!」
 浅倉くんの沸点はソコなのか、と妙にクールに思いながら、私はとりあえずの懸案事項を口にした。
「浅倉くん、お勝手の横にある植木鉢、運んでいくつか植えてほしいんだけど」
 それどころじゃないだろ、と怒鳴り返される前に素早く、なんでもない声でお願いした。
「帰ってきたばかりで悪いけど、汚れるからスーツ着替えてお庭に運んでくれる?」
 言い終わる前に、ミズキさんがジャケットを脱いで私にあずけた。浅倉くんはその背中と、私を交互に見比べた。
「まあとりあえず、着替えてきなよ」
 私がそれ以上口にするつもりがないのを理解して、浅倉くんは家の玄関をあけて階段かけあがっていった。
 その姿を見送って、肩をおろした。
 それにしても、よく泣いてたってわかるな。
 化粧崩れでもしているのかと思ったけれど、そういうんじゃなくて、雰囲気、だろうな。自分では気持ちを立て直したつもりだけど、見抜かれていたのだろう。やだやだ。
 その後、地植えにするつもりなんてまったくなかったのだけど、咄嗟のことであんな風にいってしまったせいで、けっこうな労働になってしまった。でも、十分な肥料まで与えられたので、ひょろひょろしてた酔芙蓉もこの夏には大きく育ちそうな気もして、それはそれでよかったと、何もなかったように悠然と思う自分もいた。それもこれも、喉もと過ぎればというやつか。
 ふたりがスコップを片付けホースで水を撒いている間にさっさとあたりを竹箒で掃いてしまうと、私のやることはなくなった。お湯を沸かしてお茶でも淹れるか。
 友人いわく、家に男がいて嬉しいのは壜の蓋を自分で開けないですむことと電球をとりかえてもらえることぐらいだそうだ。私は壜の蓋を開ける楽しみをひとに譲る気持ちは毛頭ないのだが、開けゴマよろしく、これ、と差し出すだけで中身が取り出せるのはちょっとしたヨロコビだと言われれば、それを認めるのにやぶさかではない。
 しょせんオトコなんてフレグランスみたいなものだとかっこつけて言ってみたいよ、と夜中、缶ビール(いや発泡酒だったな)を片手に体育座りでつぶやいた友達もいたけれど、三十代独身女にとって、香水くらいのポジションが、男のベストなしつらえのような気がしなくもないっていう感慨はわかるかも。
 あればあったで心地いいし、お洒落で優雅な気分にもなるし、ひとさまになんらかの印象を与える条件付けでもあるし、かといって自分自身の自己表現であるところの毎日の服や化粧ほど必要不可欠なものでもなく、なかったらないでもやってけますよ、くらいの余裕をかましたいというところか?
 実際は、何なんだろう。
 比喩にする必要はなくて、まあ究極、伴侶、なんだろうな。
 首の後ろの熱をさますように髪をかきあげて、私は庭先に声をかけた。
「お茶、入ったよ」
 どうやらずっと無言だったらしく、そのほうが気まずいのではないかとこちらが想像するのもバカらしくなってやめた。
 先に縁側に来たのは、浅倉くんだった。Tシャツにジーンズという格好で腰をおろして汚れた手のまま、茶碗をつかもうとするので慌てて濡れおしぼりを差し出した。
「センパイ、どうして」
 目が合ったとたん、切羽詰った声を出されて返答に困ったところ、手を洗って戻ってきたミズキさんが後ろから声をかけた。
「姫香ちゃんの鉢植えを預かることになったから」
 至極まっとうな、これ以上ないくらいの模範解答に思えた。浅倉くんは振り返るかと思ったのに、こちらを見たままだった。
「センパイ、なんで泣いてたの」
 これまたストレートな問いかけにどう説明しようか迷う。ミズキさんは立ったまま、上から斜めに私の頬のあたりを凝視していた。そういう目つきは剣呑だよ。
「ミズキ?」
「僕たち夜からずっと一緒にいるけど、まだ、セックスはしてない」


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