唐草銀河

「歓びの野は死の色す」
『野の花集』

『野の花集』2

   返答は、ない、か……。
 このオレ様が年寄りじみた嘆き節で懇願してやったのに、いまどきの人間どもは不敬だな。
 まあ、いいさ。
 無視するなら無視すればいい。
 オレだって、生きてたころは年寄りの繰り言をやりすごした。死人に口なし。たとえ耳許でうるさくがなられようとも、だ。あいつらにはなんにも出来やしない。それと同じだと迫られたら同意する。生きてる人間は忙しいからな。生きているというだけで重労働だとは死者であるオレも知っている。暇な身分じゃないと返されたらオレだって邪魔して悪いくらいのことは口にする用意はあるさ。
 だがな、無視できない「声」もある。あるのだよ、このオレ様にだって応えずにはいられない「声」というものが。
 それに、オレの声を聴くあなたは、いったいこのはなしが何処へ向かっているのか気になるはずだ。
 《夜》まで、まだ少しばかり時間はあるようだな。寄り道をしていいかい? もうすでに寄り道ばかりじゃないかってあなたは言うかもしれないね。でも、オレは近いうちにこの世界から文字通り消える運命の人間だ。それに免じて許してくれないかな。
 どうもありがとう。あなたは優しいひとだね。
 あなたのようなひとと知り合えて、オレは幸せだよ。お世辞じゃなくて、ね。
オレは生きてたころに書き手であったから、死者となった今も、じぶんの言葉に耳を傾けてくれるひと対して感謝の念を持ちつづけている。それは施政者としてであろうと宗教家としての立場であろうと同じなようだが、やはり実はそれぞれに異なるのだ。
 まあ、その説明はいらないだろう。オレは今、エリゼ公国の《夜》について記した書物『歓びの野は死の色す』の作者として語っているのだから。
 さて、どうするかな。
 皇帝アウレリウスは別として、オレが消える前に決着をつけたい相手が幾人かいないではない。決着をつける、とはいかにも剣呑だがそのとおりだ。
 ヴジョー伯アンリとのそれは、もうついている。いや、あちらはオレにいまだに執着してるのは知っている。オレのほうが早く死んだからな。あちらのほうが年上だったが、騎士らしく頑丈だった。オレは、ふとした流行病であっけなく死んだ。後始末は奴がつけてくれた。オレの子を無事に成人させ、立派な君主と宗教家に育てあげてくれた。感謝している。
 アンリよ、この声が聴こえるなら、二度は言わない。オレの治世にお前がいてくれて……否、素直に言おう。言い直す、オレの隣にお前がいてくれて、オレはたいそう幸運だったよ。幸福だったとは言わない。その理由はお前のほうがよく、知っているだろう。
 オレはあの年、アンリの従妹と結婚した。二人の子供も授かった。ひとりは男の子、次は女の子を。無事にこの国の跡取りと、死の女神の最高司祭となる女児をもうけたのだ。
 妻はおとなしい女(ひと)だった。
 公爵夫人として不足のあるひとではなかったはずが、オレはあのひとと比べてばかりいた。アウレリア姫、この大陸一巨大な帝国の皇女たるあのひとと。むろん口に出したことは一度もない。オレの秘密の恋だ。誰も、アンリを抜いてはこの国の誰も知るまい。だが、ひとは愚かではない。語らずとも、知れるものだ。
 あの当時のオレに、そうした態度が妻をいたずらに傷つけているのだと伝えても、理解はしないだろう。オレが傷ついていたのだ。国家の行く末のために相愛の相手と引き離され、あのひとをも不幸にしたと思っていた。愚かなことに、オレは真実そう思いこんでいた。
 まったく、どうしようもなく愚かだったさ。
 こう書けば、あなたはすぐさま気がついただろうね。
 オレは『歓びの野は死の色す』に自分の人生を書きこんでいたのだと。もちろん、あれを記したのはオレが結婚するずっと前のことだ。予言? 違う、断じてそんなものじゃない。オレはあれを書いた当時、あのひとがオレと同じ世界に生きている生身の女性だとすら信じ切れていなかった。夢幻のようにおもっていたものさ。
つまりオレみたいな人間は、恋しいひとと結ばれなかっただけのことをたいそう嘆いてみせる軟弱者なんだよ。それだけのことさ。あれほど愛されていたのにな。
 ああ、そうだ。
 オレは妻に愛されていた。
 妻は、こんなオレに恋焦がれていた。
 オレの呼び出した死者の軍団がモーリア王国を敗走させて以降、オレとアンリはこの国中を巡った話しはもうしたはずだ。もちろん、妻子を置いてのことだ。何年かかったかな。ともかく、オレは賢夫人と名高い妻と子供二人をおいて自分の欲望のままに各地を巡っていた。拾い集めるべき歌や物語はたくさんあった。もちろんオレはそれと同時に『騎士』の行方を追っていたのだが、それは言い訳だ。
 当たり前のことを言おう。妻はさびしがっていた。手紙が来た。オレはそれにろくに返事を書かなかった。その間、モーリア王国の詩人たちや帝都学士院の博士たち、そしてその頃にはただ便りだけがそのよすがとなった、皇女アウレリア姫と頻繁に手紙を交わしていたというのにな。
 妻は病を得て死を覚悟した際、オレが後添いを迎えることになったとしても、お願いだからあのひとだけは呼び寄せないでほしいと希った。オレの手を握り、涙ながらに懇願した。オレは戦慄した。まさか肺病で倒れた妻の床で、そんな願い事を聞かされようとは想像もしなかった。
 オレはその手を強く握りしめて、後添えなど迎えないと口にした。おまえがこれ以上を望めないような子供をふたりも授けてくれたのだから、と。
 妻は首をふってオレの手をほどいた。その目尻に涙がうかんだ。結婚した当時はまだまだ娘らしく丸い頬をしていた妻は、病に痩せ衰え、蒼褪めた頬をつたう涙を愧じた。見ないでと顔を背けられた。それから、こんなことを最後に願うはしたない女だったなんて……と両手を顔で覆った。
 押し殺した嗚咽に胸が引き絞られた。
 オレはその両手をにぎりこんで妻にくちづけた。うつります、と逃げる女を抱き寄せて再びその唇を覆った。妻はオレの胸を押し返そうとして途中で力尽き、ついに初めてのときのように身を委ねた――……

 嘘をついても仕方あるまい。
 オレは、たぶんあの瞬間まで妻を愛してなどいなかった。じぶんの冷酷と薄情に吐き気をおぼえるが正直に告白する。さらに、あのとき押し寄せた狂おしいほどの愛おしさが自身の疾しさに裏打ちされたものであるとも知っている。要するに、オレは最後の最後まで妻に甘えきってそれを許され続けたのだ。
 妻は、こんど生まれ変わったらアンリ様のような騎士になると微笑んだ。貴方様とどんなときでも離れないですむから、と。
 寝台の上でもない限り、オレを敬称で呼ぶ、いかにも貴族らしい妻だった。
 オレはどんな顔をしてその言葉を耳にしたものか、まるでわからないでいたはずだ。妻はオレとアンリの関係に気づいているのかいないのか、オレはそれを考えることを放棄していた。いや、恐らくは気づいているだろうと感じていた。そのうえで、その寛容に甘えた。聡明な妻はオレとアンリの関係に踏み込むほど恥知らずではないと安堵していたのだ。
 オレは、そう思っていた。
 ところが、それもまたオレの大いなる勘違いだった。
 妻が亡くなって一年がたち、アンリがふと漏らしたことがある。
 従妹には、何もかも話しました、と。
 オレは耳を疑った。
 アンリはオレの目をまっすぐに見て、いつもの鉄面皮で言いのけた。
 貴方様と結婚したいと願い出たのは彼女のほうです。私が命じたわけではありません。貴方様と私の関係に口を差し挟まないと誓うなら結婚させてやってもいいと言いました。ヴジョー伯爵家の家長である私の命令に背けば、たとえ公爵夫人であろうと生かしてはおかないと告げました。
 アンリ……。
 オレはその言葉におどろいた自分自身に度を失っていた。そのくらいのことは口にする男だ。そう思ってきたはずなのに動揺した。そういうオレの内心を見透かしたようにアンリが続けた。
 貴方様のほうがよくご存じでしょう。貴方様の兄君を殺したのはこの私です。ご承知のようにちょくせつ手は下しておりませんが、貴方様の人生に不要な方と私が判断したが故に自死されるのを見届けました。お優しい貴方様は兄君が生きておいででは君主としてご存分に振る舞われることをよしとしないと感じました。いっぽうで、私は貴方様がアウレリア姫を思い切れないのではないかと懼れていました。ましてモーリア王国が攻めてくるとあれば、帝国と手を結びたいと願われるのではないかと。今となっては何もかも杞憂ではありましたが、従妹は立派に役目を果たしてくれました。
 オレは無言で相手の顔を見つめた。
 オレはいったい何を守ろうとして生きてきたのか、そのときふと、わからなくなった。
 アンリはそんなオレを、やはり黙って見つめ返した。その表情から、なんの感情を読み取れなかった。ヴジョー伯爵としての矜持すらも。
 むろん、その告白を聞いたからといって、オレはアンリを遠ざけたわけではない。むしろもっと重用した。妻が死んで、アンリはエリゼ城と神殿に起居するようになった。当然のこと、誰もそれを不思議がることはなかった。
 オレの治世にはヴジョー伯爵アンリがどうしても必要だった。
 それだけでなく、オレ自身の生にあの男が要るのだとも理解していた。性愛についてのみならず、オレには頼りにすべき肉親や友人がいなかったから。
 その事実には、とうに気づいていた。
 その頃から、オレは賢人宰相と呼ばれた男がオレに残した日記を注意深く読むようになった。
 それが、物書きとしてのオレの最大の仕事となったのは、あなたも知っての通りだ。





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