唐草銀河

「夢のように、おりてくるもの」
夢うつつ夢うつつ

夢うつつ夢うつつ 18

   朝職場についてすぐ、遠出しているあなたから少し興奮した声で電話がかかってきた。依頼人の知人が戦中戦後の強制労働逃れのために夢使いから〈外れ〉たひとだという。沈黙を強いられてきた件でもあるし、女性だという事実も手伝って、たしかにはなしを聴かせてもらえるなら有り難いのだが……
「担当地域があるのでおれが行くわけには」
 あなたは、あ、と声をあげて、そりゃそうだよな、とわらった。けれどおれは嬉しかった。あなたのほうからおれの仕事に積極的に関わろうとしてくれることが。
 電話の途中、教授がおれの肩をつついた。
「金曜日ですし午後半休をあげますから行ってきなさい。どちらにしても担当者は出払ってるので」
「それ、出張費でるんですか」
「私のポケットマネーを供出します」
 それからおれにだけ聞こえる声で囁いた。そのかわりきちんと彼に話してください、あなたの「進退」について。 
 もちろん自費で出かけた。

 海沿いの街は、かつて住んでいた北の外れのあの場所を思い起こさせる。多忙を言い訳に何年、帰っていないだろう。
 あなたがいちど、おれの住んでいた町に行ってみたいと口にしたとき、おれはそれを断った。なんにもないところだから、寝たきりの妹もいるしお客さんを迎えるのは、と。あなたはホテルに泊まると言おうとしたようだった。けれど、おれの顔を見て続きをのみこんだ。きっと、おれの家族に会いたかったのだろう。父の入院に際して帰省したときも、お見舞いしたいと申し出てくれた。そのときも、命にかかわる手術ではないからと熨斗袋だけ預かった。
 おれは、自分が同性愛者であると家族に察せられていると知っていた。ひそかに教育のあることを自慢にしているあの親たちが、表沙汰にしない限りは、どうこう煩くは言わないであろうともわかっていた。弟はべつにして、あなたを受け入れない家族ではないと想像もした。
 それでも、おれがあの町を出てきたのだという気持ちが邪魔をして、あなたにあの海を見せることができなかった。
 心残りのひとつだ。
 人通りのない、まるで置き去りにされたような夕暮れの街を歩きながら、あなたに何をどう話したらいいのか、もうずっと考えていたことを頭のなかで整理していた。
 
 あなたの依頼人からの紹介で夕食は料亭でとった。あなたは珍しく食欲が旺盛で、彩りよく並べられた皿を残すことなく綺麗に平らげて、明け方に仕事がないことも手伝ってかいつもより余分に酒を飲んだ。その知人というのは、この町についた日に道案内してくれた老婦人だという。ずっと小学校の先生をしていて、と説明し、そこでふいに杯をおいて、母も年を取ったらあんなふうだったのかもしれない、と呟いた。
 おれはあなたの杯に酒を注いだ。滅多なことでは親御さんのはなしをしないひとが、たまにこうしてぽつりと漏らす言葉を大切に集めてきたつもりだ。
 あなたは、あと何年かしたら両親と同い年になるなんて信じられないとわらった。おれは何も言わずにあなたをただ見つめた。子どもがいれば、たぶん、その感慨はまた違うものになると思いながら。

 帰りは遠回りして海岸を歩いた。あなたのほうからそっと手を繋いできた。だんだんに酔いが醒めてきて、おれの手の温かみを欲しがったのだとわかった。抱き寄せて歩きたかったけれど、そうしなかった。
 月明かりに照らされた海は凪いだ波の音がここちよく、あなたは寒くて震えているのに子どものようにそこに居たがった。
 もしもあの北の海を前にしたら、寒がりのあなたはきっと、襟を立てしっかりとマフラーを巻きなおすだろう。おれはそんなあなたを背中から抱きしめて目を閉じて波の音を聴く。冬は怖いようなあの海鳴りを。
 どうしていっしょに故郷に帰らなかったのだろうと自問しようとして、やめた。
 あの事件の前ですら、おれたちはふたり一緒に遠出をしなかった。二十代は互いに金がなくて、そして三十代は文字通り仕事が忙しくて、週末を使った小旅行くらいしか行けなかった。あなたはそう口にして、どこでもいいから海外に行ってみたいと微笑んだ。おれは曖昧なこたえをした。あなたはそれを仕事が忙しいせいだと思ったらしく、教授からお許しをもらわないといけないな、とひとりごちた。それから、俺のせいでまる一年ふいにしてしまったのに我儘を言ったな、と。
 おれはうなだれたあなたの頬を引き寄せてくちづけた。さらに深く唇を合わせようとするとあなたは驚いて離れ、ひとがいるだろと小声で文句を言った。たしかに、少し離れた場所にカップルがくっつきあって座っていた。あちらは他人のことなど目に入っていないと言う代わりに、その髪をかきあげて早くあなたを温めたいと口にした。耳も冷たいしと駄目押しのように囁くとあなたは大人しくおれに身体をあずけ、もどる、と呟いてすぐ背を向けた。先を行くあなたを少しだけ見ていたかった。
 ようやく夢使いらしく髪が伸び、砂浜でもよろけることなくまっすぐに歩く姿を。
 けれどあなたはすぐ振り返り、戻るんじゃないのか、と怪訝そうに首をかしげた。おれはすぐ追いついて、さきほどのカップルたちのようにぴたりと寄り添って歩いた。
 かつては海運業で栄えた商家の立ち並ぶ街並みを眺めながら、おれはこのひとと知らない街を歩いているのだと、それをいつ、どんなときに思い出すだろうと、そんなことを考えていた。

 あなたを先に風呂へいれ、端末をチェックした。教授から念押しのメールがひとつ、そして彼女から手術の日程が決まったとの連絡が入っていた。かんたんな挨拶と用件だけの素っ気ないほどの文面に、あのひとと同じ病気を患っている彼女の芯のつよさがうかがえた。おれは、お見舞いの言葉とともにその日付き添うと約束した。すぐ返ってきた礼の言葉にほっとした様子がわずかにのぞいた。胸が痛んだが、忘れようとした。
 じっさいに、あなたの裸身を見ると忘れた。身を投げ出すようにして湯船につかったあなたの肢体に、たゆたう髪に、意識の総てを奪われた。
 おれの苦笑に、あなたは不思議そうな顔をしたけれど、待ちかねたようにその左手をさしだしてきた。おれはその手をとって腰をかがめてくちづけた。

 ひとは、どうしてこうも残酷になれるのだろう。
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