唐草銀河

「夢のように、おりてくるもの」
夢うつつ夢うつつ

夢うつつ夢うつつ 25

   あなたはじぶんの声に愕(おどろ)いて息をのんだ。それから信じられないといった顔つきで口をおさえた。けれどもう、言葉は取り返せない。おれはそれを耳にしたし、あなたはあなたでそれを激しく悔やんでいた。
 あなたはたぶん、今のは忘れてくれと言おうとしたのだと思う。でなければ、何か謝罪の言葉を口にしようとしたのだろう。それはでも、慟哭に紛れてこの耳に届かなかった。
 おれは、あなたの前に片膝をついた。
 あなたはおれを見ようとしなかった。震えながらこどものように身体を縮めて丸くなっていた。おれはそっと、あなたの髪に指先で触れた。
 あなたはびくりと震えてから恐るおそるといったようすで顔をあげた。おれは目を合わせなかった。泣き濡れて喘ぐあなたにくちづけてこのまま抱き潰してしまいたい。胸が引き絞られるように痛い。痛くて苦しくて、おれのほうが今にも息絶えそうな気がした。だから言った。
「何故おれがそんな面倒なことしないとならないんですか」
 あなたもそれはわかっていた。いや、あなたのほうが理解していた。あなたが何か口にする前におれはそれを封じるように告げた。
「そういうあなただから一緒にいられないと言ったのに、あなたは本当にひとのはなしを聞いていない」
 あなたは身を凝らせたけれど、おれはあなたの髪に指をはしらせて続けた。
「お別れです。もうおれに今後一切迷惑をかけないでください。おれとあなたは何の関係もなくなるのだから」
 せめて最後に、おれの指にまとわりつくあなたの髪にくちづけたかった。たぶんそんなことをしたらおれはこのままここで一晩過ごすことになる。いつまでたっても離れられない。あなたの髪から指をほどき、正気を取り戻すように頭をふって膝を起こす。
 あなたは動けないままだった。
 おれは靴を履いて、あなたにしっかりと聞こえるように言った。
「教授から研究センター絡みの仕事がくるはずです。あなたは、たとえあなたの叔父の名前を出されようとも、それに応じる必要はない。じぶんを大切にしてください」
 長いことお世話になりました、おれは小声で囁いた。あなたにでなく、その家へと。
 そして、ドアをあけて足を踏み出した。

「私の気に入りのソファでだらしなく寝るのはよしてください」
 酷い悪夢にうなされて、ようやく眠りかけたところで教授に文字通り叩き起こされた。
「寝床がないんです、仕方ないでしょ」
「安宿に連泊できる程度にはあなたに給料はらってますよ。たんに昨日の飲み会で後回しになった仕事片付けてただけでしょうに」
 おれを叩いた書類封筒が目の前にさしだされ、半身を起こしてしぶしぶ受け取った。ある博物館の紀要が入っていた。
「あなたと同時期に海外研修にいった彼、いい論文かいてます」
 おれは頁をめくるのをやめてテーブルに置いた。教授は腕をくんでおれを見おろした。
「今のあなたを見たら、あのひとは何て言うでしょうね」
 あのひとというのが誰かはわかっていた。この研究センター設立の立役者、彼の叔父だ。
「知りませんよ」
 おれは先般の意趣返しにそうこたえた。教授は高らかにわらった。それからふいに真顔になり、向こうへ行くまでずっとここに泊まり込んでいいですから、例の案件ふたつばかりやっつけておいてくださいとこともなげに口にした。
「は? それはいくらなんでも横暴じゃないですか」
「だってあなた、仕事以外に大事なものもう何もないでしょ」
「な」
「違いますか? ああ、違いますね。あなたの仕事は、あなたのいちばん大切なひとのことについてでしたね。でも、けっきょくあなたはその傍から離れて過去へと向かう」
 咄嗟のことに、何も言い返せなかった。そういうおれの顔を舐めるように眺めながら教授がつづけた。
「歴史は大事ですよ、もちろんね」
 おれは、黙って紀要をひらいた。

 さすがに近くのホテルをとって通うことにした。仕事をするのが嫌だったわけではない。むしろ忘れていられて有り難かったが、言い訳に困ると教授が苦笑した。あなたが今度行く場所はそれこそあなたのやりたい放題できそうですが、ここは大学機関なのでね、と。
 誰も、何も気にかけないでいいとなればおれは本当に仕事しかしない。それでも夜一日だけは走った。例の懐かしいコンビニ前も駆け抜けて、部屋へもどって酒を煽って何かをごまかした。
 ずっとろくに寝ていないはずなのに眠れない。端末に学生時代の友人から壮行会をしてやるというメールが届く。映画評論家になったのは聞いた。そっちの仕事じゃ食えてないけどな、と呟いた顔を思い出しながら、そんな暇はないと返事を打つ。どうせ週一で戻ってくるとつけたして。引き継ぎはすべて教授にぶん投げた。もとはあちらの仕事だ、問題はない。寝返りをうつ。涙を浮かべたあなたの顔、その肢体を瞼の裏に映す。カメラが捕えたもののようにくりかえし映し続ける。気味の悪いほどに。おれはそれを消そうとする。
 明かりを消すように。
 暗闇に沈み、あなたがおれの手につけた爪痕を弄る。消えないようにじぶんで爪を立てる。もっと酷く責めればよかった。口の端に残る血の味をたしかめたくて舌でなぞる。あなたをもっと詰るべきだった。あなたの痴態をおさめたデータが端末にあるのを開けて見たくなる。違う匂いと肌触りのするシーツに顔を埋める。想像以上に本音を語ってしまったと嘆くふりをする。あなたがいけない。何もかもあなたがいけない。何も悪くないあなたが、だからこそ、おれをこんなにしてしまった。
 あなたから離れなければいけないほどに。
 あなたに、あんなことばを言わせてしまったおれは、あなたから遠く、遠く離れなければ……。

 波音がする。海鳴りが響く。おれはひたすら海岸を走っている。あのひとのところへと。

 気がつくと、出発の日の朝だった。
 おれを揺り起こしたのは波の音でなく、都会の喧騒という名の目覚ましだった。

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