唐草銀河

「夢のように、おりてくるもの」
夢うつつ夢うつつ

夢うつつ夢うつつ 26

   忙しいのにわざわざ見送りに来なくても、と吹きさらしのホームで縮こまる教授を見おろすと、誰のせいで忙しいんですか、と眉を逆立てられた。おれはすみませんと殊勝に謝った。内心では、どうせひと月もしないで顔を合わせるのにと閉口していたが、教授がいてくれて有り難くもあった。彼の弟子がいきなり来たので気づまりだった。ちょうど今、温かいものを買いに行ってくれている。
「彼は、見送りに来ないんですか」
 教授がわざとらしく頭を廻らした。おれはとりあわなかった。列車の時間には変更はない。だが、来るとは思わなかった。
 教授は明日が彼女の手術の日かと確認し、続けていった。
「はっきり言っておきますが、わがセンターはあなたを『貸し出す』だけです。つまり余計な仕事はしないこと、私からは以上です」
 おれは黙ってうなずいた。教授はほんとうにわかっているのかと問うように首をかしげてこちらを見たがその視線は無視した。
 そこへ缶コーヒーをみっつ抱えて彼女がもどってきた。今日は少しおとなびた紺のコート姿だ。もうすぐ二十歳になるのだからおとなびた、と感じるおれもだいぶ年寄りクサい。だが七つのころから知っているのだ。ずっと、ふたりでその成長を見守ってきた。離れがたいとおもった。一生子どもと縁がないと思ってきたおれが、そんなことを考えるのだから人生は何があるかわからない。
 彼女は教授へお待たせしましたと笑顔で渡した後、おれの懐へと缶を押しつけるようにしてさしだして口をへの字にまげて評した。
「辛気臭い顔してる」
「忙しすぎて寝てないから」
 そう言い訳したけれど納得した様子はない。目を伏せて首をふる。風で髪が頬に触れるのが煩いのか耳にかきやる。缶をすぐ飲まずコートのポケットに入れて手をあたためる姿があなたに似ていた。
 不思議な子だ。
 この二年近く、ゆっくりと話したことがない。なのに急に今日、見送りにきた。知らせてもいないのに。いや、教授経由で知ったのかもしれないが。もちろん、ちょくせつ話しを聞いた可能性もある。
「先生とは、会ってないよ」
 おれの目を射抜くように見て続けた。
「電話もメールもしてない」
 缶コーヒーを両手にもったまま教授が彼女の横顔をみた。何かしら不安におもったようだ。けれど彼女はおれの顔を見つめていった。
「あなたのほうが心配。それで、来たの」
 おれは呆気にとられた顔をしたに違いない。
 それから、意志の強さをうかがわせる黒い双眸(ひとみ)に負けて苦笑で告げた。
「それはきっと、あたってる……」
 彼女はうなずきもせず、また笑いもせずにおれを見た。教授はひとり、何か考えるような顔をしてうつむいた。
 それからすぐ出発のアナウンスが鳴り響いた。おれは列車に乗り込んだ。
 ドアが閉まる。並んで立つふたりへと軽く片手をあげてから会釈した。
 列車が動く。
 おれはその瞬間、何かを感じて背を振り返った。
 向かいのホームに、あなたが立っていた。黒いコートに身を包み、その髪を靡かせて。
 あなたはおれがあなたを見分けたことに気がついた。と同時に深く頭をさげた。おれは扉に張りついた。
 あなたをこの眼にとどめたくて――

 あのコートが、あなたの叔父のものだというのもわかった。深みがあってなおも柔らかな黒、軽くて暖かくて楽だとあなたはよろこんだけれど、大切な形見だからと滅多なことでは身にまとわなかった。
 あなたはいつもの仕事支度ではない。端末をひらいて地方新聞を読む。やはり、というおもいで席につく。
先日会った依頼人の訃報が載っていた。
 おれは教授にメールを入れた。センターから弔電を打ってくれと。
 あなたはきっと気づくだろう。
 たぶん、おれがあなたと関われるのは、もうこれが最後かもしれない。

 椅子の背を倒して目をとじた。
 ようやく眠ることができるような気がした。

 彼女はおだやかな笑顔でおれを出迎えた。男のおれが女のひとを頻繁に見舞うのは遠慮したほうがいいと考えながらも、両親もきょうだいもいない彼女のために出来ることがあればしたかった。じっさい、彼女のほうからそう言った。母でも生きていればまた別でしたでしょうけれど、と。父親は家を出ていた。新しい家庭があるそうだ。
 明日は叔母が来てくれるんですけど、と口にしてから少し間をあけて、叔母ったら絶対に貴方を見たら根掘り葉掘り色々きくと思います、先に謝っておきますね、とちいさく肩をすくめた。叔母は面食いなんです、失礼をするようでしたら適当にあしらってください、と。おれは笑ってうけあった。慣れてるから任せて、と。すると、
「慣れてるってすごいですね」
 真剣な讃嘆の表情で見つめられた。ここは受け流すか突っ込むところだろうに調子が狂う。いや、こういう素直すぎる頓珍漢な返答におれは長く親しんでいたはずだ。
 おれの微苦笑に彼女はほそい首を傾けた。
 おれはなんでもないとこたえるかわりに思い出したような顔をして教授から預かった見舞いをさしだした。受け取る手に指が触れた。彼女は息をのんで素早く手を引いた。おれはそれに気づかなかったふりをした。彼女もそういうおれの態度をそれと察したけれど面にださなかった。
 女性らしく、やわらかな線をえがく頬を見るともなしに見た。彼女と目があって、互いに無言で微笑み合った。
 たぶん、おれたちは上手くやっていくだろう。

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