唐草銀河

「遍愛日記」
3月23日 正午

3月23日 正午 (67)

   その質問は、すごく的を外しているような気がした。いま泣いてる理由は、ここ、今現在に原因があるって考えるものじゃないだろうか。つまりは自分の訊きたいことを訊いただけ。首をふって否定した。
「うそだ。ミズキに」
「なんでウソって決めつけるの」
「じゃあ何で泣いてるんだよ」
 いま泣きそうな理由を説明するつもりが、そんなのはふっとんでしまった。
「ねえもうとにかく私のことはほっとかない? 私、九月に個展するって決めちゃったし、そのことだけ考えたいの。あと半年ないんだもん。美大も出てなくてこんな年齢で絵描きになりたいなんていうんだから、スピード違反なくらい色々やらないとダメなの。もう、いっぱいいっぱいなの。ひとのことあれこれ考えてる気持ちの余裕はないの」
 浅倉くんは無言だった。いつもの得意技かと思えたが、こちらの言うことをちゃんと聞いている様子だ。
「こんな自分勝手なこという女なんだから、ともかく」
「そんなに心配しなくてもだいじょうぶですよ」
「浅倉くん?」
「センパイは、だいじょうぶ。オレ、絵のことはよくわかんないけど、センパイが絵を描いたり見たりするの大好きなの知ってるし。いっつも絵かいてて、よくモナリザの話とかしてくれたじゃないっすか」
「あのね、好きとかそういうことだけじゃ」
「好きとかそういうこと以外に、なんか必要なもの、あるんすか?」
 私が、絶句する番だった。口を開きかけたところで、彼がにこりと笑った。
「何でもやってけば上手になっちゃうものでしょ? 才能がないとかそれでうまくいかないとか色々余計な心配してるんだと思うけど、それ、やってからじゃないとわかりませんから。だいたいそういうのって他人様が決めることだし、本人はただヤル以外、なんもないっしょ」
 あんまりもっともなことを言われて、反論の糸口のなさに呆れていた。彼はそんな私を見つめながら言い継いだ。
「ゴッホは生きてる間に一枚しか絵が売れなかったとかいうじゃないですか。センパイ、まだ個展する前に売れてるんでしょ?」
 うなずきながら、ゴッホの絵ではなく、本人について語りだしてしまいそうな自分がいた。その伝説や死後の評価なんてものは複雑怪奇で聞きかじりの素人の手の出せるものじゃない。とはいえ、あんなに言いたいことばっかりで、耳を切るなんていう象徴的な自傷行為をする画家が、今こうやってみんなに語ってもらえるって知ったらどう思うだろう。
 それに、いくら励ましとはいえゴッホと私を比べようとする無謀がなんだかすごく、おかしかった。まあふつうに、知ってる画家の名前を十人あげてって言ったら、たぶんそのトップくらいに出てくるひとだっていう理由で深い意味はないんだろうけど。
 ああ、今さらに思い出しちゃったけど、ゴッホもラファエロも中村彝も、三十七歳で亡くなった。ヴァトーとロートレックは三十六歳で死んでるはずだ。自分と彼らを比較するなんて呆れるを通り越して笑いそう。
「センパイ、凄いじゃないですか。だったら、なんの心配もすることないっすよ」
 でもたかだか二千円程度の絵の予約が入ってるだけで、とあんなに嬉しかったというのに、しかもせっかく励ましてもらってるのに反論しそうになった瞬間、彼はなんでもない様子をして、つけたした。
「あのミズキが応援してるならまず間違いないですよ。あいつ、売れるアーティスト絶対はずさないし、けっこうな相場師だし芸術の鑑識眼についてはそれなり以上っつうか」
 そこで、首をすくめて笑った。
「まあ、下心が山ほどあって目が曇ってるんじゃないかって言われると、オレもちょっと安心できないっすけど」
 聞いたとたん、盛大なため息をついてしまっていた。それなのに、この浅倉くんにだいじょうぶと言われると、なんでか大丈夫な気がしておかしい。そうしてうつむいて笑いそうになって唐突に思い出す。ついつい自分の絵の話になってしまったけれど、元はといえば、ほっておいてくれという話をしていたのだった。
「浅倉くん、わたし」
「前も言ったけど、オレと暮らしませんか」
 た、タイミングをはかろうよ。ていうか、はかってるのか。
「オレ、家、追い出されたし」
 苦笑でつけたされた。追い出されたしって、追い出されるようなこと自分でわざとしたんじゃない。私がさっきまで何を言っていたのか、絵のことで安心させて聞かなかったことにしようとしているな。
「停戦申し込みは受け入れられないの?」
「センパイにとって、恋愛って戦争とおんなじなんだ」
 へえ、と彼はこちらを斜めに見おろして唇を歪めた。嘲笑されて、なるほど、ミズキさんが彼をセクシーだというのはこんなところかと想像しながら言い返す。
「よくそういうじゃない?」
「それって他人の言葉でしょ。それに頭のなかだけのことで実際には使えないじゃん」
 ごもっとも。頭でっかちに過ぎると龍村くんによく批判された。そんな私でもわかることがあるとすれば、ひとりで二人を相手にするのは圧倒的に不利だということだ。どっちかは、片付けておきたい。
「オレと暮らしてよ」
「できない」
「できないってなんで」
「とにかく、今はほっておいて欲しいの」
「無理だよ」
「どうして」
 彼が、どうこたえるか考えるような顔をした、その隙をついて切り出した。
「なんだかふたりして意地になってて、私のことを想ってるっていう風じゃないと自分でも思わない?」
「や、もうオレ、センパイとあんなこととかそんなことしたいって考えるとおかしくなりそうなほど」
「アサクラ君、あのね」
 あからさまにふざけた言いぐさに額に手をあてて首をふると、掠れ声が続けた。
「昨日、ほんとに何も」
 そこか。

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