唐草銀河

「夢のように、おりてくるもの」
外伝・小咄

海へ

   狭いキッチンでふたり並んで夕飯の片付けをしていたら定番のサーフ&ビーチミュージックが流れてきた。梅雨が明けたら近場の海へ行こうと誘ったら、おれの恋人は眉をひそめた。
「もしかして泳げない?」
「泳げる」
 もちろん、このひとが泳げないとは思っていない。泳げるとわかっていて訊いたのだ。はなしの接ぎ穂を用意するつもりで。ところがこのひとはそれ以上なにも言わずおれの顔をじっと見た。先を促され、しかたなく続けて問う。
「海が嫌いとか?」
 ちょくせつ好き嫌いを問うのは避けたかった。妙に禁欲的なところがあるからこそ、何が好きか嫌いか、このひと自身がじぶんから話さないことをあまり詮索したくなかった。しかしこの場合は致し方ない。すると、逆に質問された。
「俺が嫌いとこたえたら行かないのか」
「そりゃ」と言いかけて、その口の端にうっすらと笑みが浮かんでいるのに気がついた。このひとはときどき意地が悪い。いや、いつもそれなりに、否、十二分に。
「海は嫌いじゃない。ただ泳ぐなら屋内プールのほうがいいと思っただけだ」
 続けて、おれの顔を眺めながら、北の海ほどこのへんの海はきれいじゃない、と呟いた。
 綺麗な海にふたりで行きたい、と言われたようだ。
 だが、おれもこのひとも綺麗な海のそばでバカンスを満喫できるほど優雅な暮らしをしていない。
 そしておれは、ずっと地元に帰っていない。
 帰るつもりもなかった。
 ただ……このひとにはいつか、あの海を見せたいとおもっていた。不思議なことに。いや、不思議ではないのかもしれないが……海には、言葉に尽くせない想いがある。
「日焼けは苦手だ」
 ぽつりと落ちた言葉に、おれは洗い物の手をとめた。横顔を注視すると、
「酷い熱をだしたことがある。溺れそうになったことも。それでも海は嫌いじゃない。子どものころは毎夏、祖父のいる家の近くの海に連れて行ってもらっていた」
 親御さんとの想い出をを滅多なことでは口にしないこのひとが、たまにこうしておれにそれを聞かせてくれることにおれがどれほど心震わせていることか。いまおれに背を向けてカップを棚にもどすこのひとはきっと知らない。
 このひとの遊んだ海とおれの育った海は違うだろう。
 だからこそ、おれたちはきっとこの夏、海へ行く。

 了
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