唐草銀河

王と修道士 【Kyrie eleison】再録

 翌日、修道士から王への手紙――《我らの喜び聖ドニよ(モンジョワサンドニ)》

 
 翌日、修道士から王への手紙――《我らの喜び聖ドニよ(モンジョワサンドニ)》
 
 いま、わたしの耳には全フランス軍のあげる鬨(とき)の声《我らの喜び聖ドニよ》が力強く響いております。貴方様のお便りを拝読し、かの時が我が身に帰り来たようでございます。
 まこと、聖ドニの御心とはよろこびの源、それそのものでございます。全ガリアの使徒、このフランス王国の守護者たる聖ドニを祀るこの修道院で貴方様に初めてお会いしたことは、やはり神の御加護であったのでしょう。
 たしかに、わたしはこの修道院の主祭壇に《修道志願児童》として捧げられたものでした。それは父と、わたしを生んで間もなく亡くなった母の願いでもありました。
 あのときお話ししましたように、父は十歳のわたしを修道院に捧げ、それと同時に後添いを迎えました。正直にお伝えいたします。わたしは、貴方様が今に至るまで一度もお父上様を悪く言われたことのないその尊い御心を羨ましくおもうのです。
 修道院に入ってすぐのわたしを誑かした貴族の男は、容姿にも教養にも不足のない、まっとうな人物に見えました。その男はかつてわたしの母の恋人だったと、結ばれることなく別れたと涙ながらにわたしに訴えたのです。後にその言葉がまったくの虚妄であったとわかるのですが――それが、わたしと貴方様がお話しした日のことでした――父は母を語ることなく、わたしは母の面影を求めながら満たされずにおりました。そのさみしさと甘えをあの男は嗅ぎつけたのでした。わたしは男の話す母の想い出話を心待ちにしておりました。この大きな瞳が母に似ていると言われれば素直にとても嬉しくおもったのです。
 ところが、あるとき男は、母が死んだのはおまえのせいだとわたしを責めました。わたしはそれに愕きませんでした。誰も口にしなかったことをいう正直な人間だと感じたのです。そして、その日をきっかけに男の言いなりになりました。
 もちろん、あのとき申しましたように、わたしはあの男を恐れていたわけでも性の愉楽に溺れていたわけでもないのです。ただ、あのように甘美な悦びを結婚という秘蹟において味わった母が、その官能のただなかでわたしを孕み、聖ドニにひたすらに祈り、月足らずで生まれたわたしを残して身罷った一方で、わたしの母を忘れられず俗世を憂いて修道院に入った男がいて、そこでわたしがその男と出会ってしまった、その不思議を思わずにはいられなかったというだけのことなのです。
 わたしには、男の恋情を哀れに思って絆されたところも幾らかはあったのです。闇の中で互いの熱を分け合うよろこびを知りました。偽りのものであれ、母を死なせたがゆえに父に厭われたと思い続けたわたしには、男がわたしを赦すといってくれたのは救いでした。けれど、わたしはその男をけっして愛しませんでした。恐らくは、母がそうであったように。
 ただ、あの男がわたしの気を引こうと見せてくれた美しい宝石たちの煌めきばかりが今でも瞼の裏に残っています。その男がそれをくれると約束し、おまえを愛しているというので、わたしはなんでもしたのです。その宝石を口に含まされながら。けっして言葉にできないようなことまで……。
 わたしは周囲のものたちに賢い子供だと言われて育ちました。恥知らずに申しますが、たんに賢いだけでなく、人並み外れてとまで褒められて参りました。しかしながら、ほんとうのわたしは知恵が足らず、ただ他者に食い物にされる弱きものであったのです。
 わたしのような穢らわしいものがあの尊い主祭壇に捧げられたかと思うとわが身を切り刻みたくなるほどに悍ましいと感じたこともありました。
 されど、貴方様はわたしの震える手を掴み、わたしを悪くないと慰め、あの男の卑怯を罵って成敗してやると言ってくださいました。わたしは、貴方様の純真さが恐ろしかった。お前は汚いと、でなければお前も不潔な悦びに浸ったのだろうと詰られたほうが安堵できました。じっさいわたしは愉しみました。そして、宝石を我が物にはしませんでしたが、修道院に寄進してくれと頼んだのです。
 不敬にも、差し出された御手を振り払ったことのあるわたしを、再会した貴方様はひとことたりとも責めませんでした。と同時に、忘れたふりもなさいませんでした。あの戦場で、この夜を生き延びれば勝利すると確信した時、貴方様はわたしを呼び寄せて次のように命じられました。
 
 余の手は取らずともいい。だが、そなたはいずれあの修道院の頭になる。余はフランス王になったが諸侯は隙をついては反旗を翻し、また各地の訴訟も後を絶たない。余にはそなたの力が必要だ。余はそなたのいる修道院の所領を預かるがゆえにそれへと臣従礼を誓う。そなたはその命尽きるまで余に《助力と助言》を最大限に与え続けよ。
 
 全ガリアの使徒である聖ドニをこそ、神に次ぐこの国の守護者とし、それを祀る聖ドニ修道院の封臣たる国王をしてフランス全土を統治する――この王国のもっとも美しい形があのときまさに、わたしのなかでその像を結んだのでした。
 《我らの喜び聖ドニよ》!
 
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