唐草銀河

掌編・短編

三十振袖

  ※柳川麻衣様主宰の百合詞華集「きみとダンスを」に掲載していただいた掌編です。式子内親王の和歌にインスパイアされた、夢使いの出てくるお話しです。

お客に恋してはいけないことくらい彼女もよく知っていた。依頼が頻繁にあるのはお客の精神状態が不安定なせいで彼女に逢いたいせいじゃない。勘違いしてはいけないと言い聞かせた。

 できたら今すぐ来て欲しい、よく眠れない、つらい、安らかな夢が見たいと電話で乞われれば彼女は何をおいても駆けつけた。夢使いなのだから当然だ。彼女の仕事は依頼人という名の「お客」に望む夢を見せることなのだから。

 日が落ちて、ひとびとが家路に着くころに彼女の電話が鳴る。かぼそい声が問う。今夜あいているかどうか。

 大丈夫です、今からすぐお伺いします。

 あくまで敬語は崩さない。ことに始まりと終わりだけは、きちんとした言葉遣いをするよう心掛けている。どんなに親しくなろうとも一線は越えられない。そのいっぽう、もしも依頼人のほうから添い寝してくれと頼まれたら彼女はそれを断らない。眠るまで手を握っていてほしいと言われることは少なくない。

 彼女は男性の依頼はほとんど受けない。夢使いを娼婦や男娼だと勘違いしている不埒者がいるからだ。とはいえ、それを受け入れる夢使いもいるにはいる。けれどあくまで彼女は夢使いとしての伎のみを売り物にするつもりで生きてきた。

 それが今は……

 お客がいささか呆れたような声で問う。

 あなたいつも空いてるのね。

 暇なんです、ほんとさいきん景気が悪くて夢なんてみんな買ってくれないんですよ。

 他にはどんな仕事してるの?

 お客から私事に触れるような質問をされたのは初めてだった。他の依頼を断っていると見破られたのではないかと少しばかり動揺したが、お客はそこまで彼女に関心を持っていない。それは承知していた。

 お菓子屋さんの店員です。アルバイトみたいなものですけど。

 じゃあ、いろいろ大変じゃない?

 親と同居してるのでどうにかなってます。

 なら、さびしくないわね。

 お客のその言葉で何かが断ち切られた気がした。けれどそれを努めて声音にのぼらせないだけの経験は備えていた。

 何かとうるさく言われて面倒ですけどね。

 彼女は今時の若い娘らしい受け答えを敢えてした。お客は、贅沢いってるなあとわらった。その声にかぶせるように、いま電車に乗ります、あと三十分しないで着くのでもうしばらくお待ちくださいと告げて電話を切った。

 それから彼女は電話を帯に挟みこむ。バッグに入れていては依頼を逃してしまうかもしれないから。夢使いは桑の木を神木とし蚕を神獣と崇めるため着物で過ごす。正月でも成人式でもない日に二尺振袖に袴姿は人目に立つ。靴は編上ブーツだ。背中の扶桑紋を見ないかぎり――いや、今では見たとしても――「夢使い」だと気づくひとは少ない。昼間はこの格好で伯母の菓子屋を手伝う。茶席用の菓子等も扱っているので着物姿だと喜ばれる。

 大学を出て半年だけ小さな商事会社に勤めた。辞めた原因は夢使いだと知られたせいだ。好悪の眼差しや性的な揶揄のあるのは覚悟していた。だが、たかだか夢占いをあてただけで同僚の一人に救い主のように崇められてつきまとわれるのは予想もしていなかった。

 警察に届け出るほどのストーカー行為があったわけではない。しかし、いい大人が少しばかり勘のいい若い娘に何かの判断を委ねるのはおかしい。そう口にしてカウンセリングを受けたほうがいいとすすめるほど傲慢でも愚かでもなかった。夢をあがなうのはテレビや雑誌で占いを熱心に見るのと変わらない行為でもある。不況になれば夢使いへの依頼は減ると思われていたがそうでもない。

 彼女は商売が下手だと自分で呆れている。そういう依頼人を捕まえて離さなければいい。師匠にもわらわれた。変なところで潔癖なのねと。

 師匠とはお決まり通り七歳の夢見式で出逢い、才を見出されて弟子になった。関係をもったのは二十歳になってからだ。好きだと告げたのは高校を卒業してすぐで、言わずに秘めていた時間はもっと長い。永遠に思えるほどだったと口にしたら一笑に付された。師匠とは十七歳違いだ。なにもこんな中年女と初めてを体験しなくともと幾度も断られた。彼女は諦めなかった。師匠が遠くに嫁ぐと決まったとき、一度だけという約束で抱き合った。

 けっきょく引っ越すまでは師匠の家に入り浸り髪を乾かす間も惜しんで白い身体へ倒れ込んだ。師匠の夫となるひとが彼女に興味を示さなければきっと、今でも関係は続いていたに違いない。師匠に疎まれるのだけは死んでも嫌だった。それで仕方なく別れた。

 もうすぐ結婚するのに若い女に色目をつかう男と弟子を拒めない師匠のふたりを似合いだとおもうほど意地が悪くはなかった。ただただ悲しかった。

 じつのところ彼女は師匠と寝たとき処女ではなかった。涙ながらに初めては師匠がいいと訴えたのは、そのひとの好さにつけこむのに有効だったからに過ぎない。戦前、夢使いは処女や童貞ではなれないものだったが今はそうではない。彼女はそれを馬鹿らしいとおもったので早々に男と寝ることにした。将来もしも結婚するときも不利にはならないだろうとも考えた。未知なものを恐れなくなった分、彼女は大胆になった。処女であったら師匠を口説き落とせたかどうかわからない。

 それより何より男だったら年下であろうと身を引かなかった。自己分析が鋭い痛みとなって、師匠の弱さをうらむようになりそうで怖かった。だから諦めた。

 お客と師匠はよく似ている。

 いや、師匠よりずっと「駄目な女」だ。

 駄目な女とはお客と師匠本人たちが口にした言葉で彼女はそうおもわない。やさしすぎるひとだとおもっている。そのせいで彼女のような人間につきまとわれる。

 駅ビルで小さな花束とケーキを買う。友人なら手許にずっと残るものをプレゼントしても許されるがそうはいかない。逆は、かまわない。昔の富裕な依頼人は夢使いの衣食住の面倒をみたものだが今は違う。

 そもそもどの時代に合っても依頼人と夢使いの関係は不安定なものだ。

 両親と伯母は二十九歳になった娘に彼氏がいない日常を嘆いている。かれらが彼女に甘いのは、従兄が幼いころに病気で亡くなったせいだ。従兄も夢使いの素養があった。

 お客は三十六歳、百貨店のアパレルショップに勤めている。三つ年下の彼氏と五年付き合って別れてから彼女を呼ぶようになった。そのことは二度目の依頼でお客から話した。もちろん水を向けたのは彼女だ。好きだったひとが長い付き合いの自分を捨てて出会って間もない相手と結婚したと告げた。嘘は何ひとつ吐いていない。ただしお客は彼女も男に振られたと理解しているに違いない。

 お客は仕事の愚痴をよく漏らす。気の利かない同僚や無思慮な上司、難癖をつけるクレーマーの話しが延々と続く。それでもしまいにはしょうがないけどねえと溜息まじりでつけたして言いっぱなしにはしなかった。電話をかけてきたときにはあんなに頼りない声だったのに。

 彼女はお客のはなしに相槌をうつ。ほんとうに綺麗な顔立ちをしているとおもいながら。先日気にしていたあごのラインの吹き出物は消えかかっている。それをコンシーラーで隠していたのだとしても、まるでわからないくらいに。

 半年ほど前、彼女はお客の姿をカフェで見かけた。明らかに別れ話だとわかった。けれど険悪な会話の応酬はなかった。お客はひとこと、そう、わかった、と口にした。それだけだった。男が去ってしばらくして、もうとうに冷めてしまったコーヒーに口をつけることもなく立ちあがったそのときにストールを落とした。拾ったのは彼女だ。

 あまりにも完璧な笑顔で御礼を言われた。

 忘れられなかった。

 ところがお客はなにも覚えていなかった。無理もない。あのとき彼女は洋服だった。それに印象に残るほど整った容姿の持ち主でもなかった。はじめましての挨拶のときも、お客はあのときと同じ笑顔を見せた。

 そして今日も、お客の依頼は変わり映えしない。明日元気になれる楽しい夢が見たいという。具体的なイメージはあまり話さない。反面ぐっすり寝たいとも口にする。次回はワインを持ってきてもいいかもしれないと彼女は頭の片隅にメモをする。

 友達の話しはあまりしない。いや、まったくしないわけではない。田舎が嫌で都会に出て来たくせに結婚して子どものいる友人の暮らしが今となっては羨ましいと口にする。

 お客が言う。あなたも三十になる前に相手くらい見つけておかないと私みたいになるからと。そのお節介には曖昧に笑う。子どもなんてそんな好きじゃないんだけど、と溜息のように漏らしたお客の横顔を黙って見つめる。吐息に紛らわした本音をいつか夢に望むことがあるだろうかとおそれながら。

 彼女はお客のふわふわとした依頼に応えるために夢をおろす。その魂の〈滋養〉となるような夢を必要としない者へ、あたりさわりのない香音を慎重に爪弾く。お客はまだ、夢使いを招くほんとうの愉しみ方を知らない。だからそれを示してはいけない。むろん夢使いの伎に悦楽をおぼえ要求を高めていく依頼人を持つのは光栄だ。かつて〈あがない〉と呼ばれた行いは、依頼主と夢使い双方の想いの結実と呼ぶに相応しく、それでいて現実的にはただの「夢」でしかない。儚いものだ。

 その事実を十分弁えているくせに、ときどき彼女はお客の夢にじぶんの想いを紛れさせてしまいたくなる。濃艶な花の香りのする女の秘所にわずかに小水の匂いを嗅ぎとるような鬱陶しい亢奮を。

 はじめて会ったとき、とても綺麗なひとだとおもった。実際きれいであろうと努めるひとだった。見た目だけでなく、そのこころの内側も。だから気づこうとしないのかもしれない、彼女の恋情に。

 それだけでなく、

 自分が泣いていることに。

 その夜、泣かないひとのかわりに彼女は泣いた。声を抑えるために口を覆った手指に涙が零れ、露のように袖を濡らした。

 翌朝、目を覚ましたひとが言う。

 「ねえ、あなたの夢を見たわ」


 
夢にても見ゆらむものを歎きつつうちぬる宵の袖の気色は
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