唐草銀河

掌編・短編

桑中之歓も知らずして

   大桑糺(ただし)は家賃を二か月滞納している。職業は夢使いと養蚕教師、どちらも今となっては珍しい職業だ。いまどき七歳の夢見式を盛大に祝う家も少ないし日々の慰めに夢を購うひとびとの数も減っている。かつては世界一を誇ったこの国の生糸生産量も衰えるいっぽうだ。

 よって真面目に働いてはいるが稼ぎがない。

 いや、ないわけではないが養蚕農家から謝礼を待ってくれと言われたとたん、文字通りお手上げなのだ。そのほかに夢使いの仕事で稼ぎがいいのは「寝る」仕事だったが大桑はそれを好かなかった。

 そんなわけで大家が小学生のころから知っている友人宅なので甘えてきたが、今日とうとう督促をくらった。

「タダシ、おまえさ、教員免許もってるだろ。塾講師やらないか」

 電話でいきなりそう問われて返す言葉を詰まらせた。なにかの折に潰しがきくと、やはり夢使いで養蚕教師だった大伯父の勧めで持っていた。そのせいか、今でも小学校の夏の課外授業などでお蚕さまの飼育を受け持ったりするのは嫌いではない。

「知り合いのところで求人がある。話しだけでも聞きにいってみないか。このへんの塾なんで給料は高くはないが社員だっていうし、ふつうの勤め人よりは自由がきくだろう。うまくしたら養蚕の仕事を続けながらできるかもしらん。おまえも月々決まった額が入れば気が楽になるように思うが、どうだ」

 最後だけは、遠慮がちに聞こえた。そのことに大桑は観念した。甘えっぱなしでいることに居直り続けられないところまで汲みとられては従うほかなかった。

「わかった。とりあえず話しだけでも聞きにいくよ。ちゃんと履歴書も書いていく」

「そうしてくれると俺の面目もたつ。あ、それと、いつもの紋付袴はよせよ。スーツを着ていけ」

 大桑はさすがにそれには渋い声をあげた。桑を神木とし蚕を聖獣とする夢使いの正装は紋付で、養蚕教師もその発足当時の明治のころの伝統が残り紋付袴を身に着ける。よって大桑の仕事着はすべて和服だ。桑の葉を運ぶ重労働であろうと着物なことに変わりない。

「普段着ならまだしもスーツなんざ、もう一着も持ってない」

「マジか? 俺の貸してやるよ」

「やだよ、ていうか晃(こう)ちゃんとおれじゃ身長違うし」

「んなに言うほど変わらんだろう、大は小を」

「兼ねない、スーツは無理。パジャマと違うんだから」

 まあそうだな、と月成晃一が不承不承というさまで頷いたようだ。しかしすぐに決めつけた。

「だがいざ教えるとなったらスーツが無きゃ不便だろう」

「スーツ着て教えなきゃいけないようなら面倒だから断るよ。いまは地方によっては小中学校で着付けの授業があったりするくらいだし、制服の利便性は否定しないし紋付はつまりそれそのものの正装だけど、そうやって誰もがみんな同じかっこするのはどうかと思うよ」

「あいかわらずおまえさんはめんどくさいこと言ってるなあ」

 大桑より一学年上で幼いころからずっと兄貴分だった晃一の苦笑まじりの言葉にはなにも言い返さなかった。実際そのとおりだと思っていた。と同時に、だから稼ぎがないんだと呆れたり叱ったりしないのも知っていた。

 面談の日時は先方と決めてくれと電話を切った相手は大桑がきちんと礼を言わなかったことを気にも留めないだろう。そう考えて、気に留めないと気づかないとじゃ大違いだよなと苦笑した。

それから煙草に火をつけようとしてやめ、急須に湯を注ぎ、ほとんど色の無いような出がらしのお茶を口に含んだ。


 その当日、営業回りだとのたまって晃一は大桑と同行した。大桑がおれの父兄かよとつっこんだが、父兄みたいなもんだろと真顔で反論されるに至り諦めた。それなら車で行くのかと思っていたら親父にとられたという。しかたなく二人とも電車に乗ることになった。

 まだ寒い三月頭のことで、風がつよく曇天に遮られた陽光はしごく頼りない。大桑の二重回しの裾が風に煽られる。晃一はジャンパーの前をあけたままなのを慌てて締めた。駅から思っていた以上に距離がある。通勤が面倒だと大桑は思った。その横で晃一が呟いた。

「おまえ、それ着てると昔の書生みたいだな」

「眼鏡だしね。じつは鳥打帽も持ってるけど何かの変装みたいになるんで置いてきた」

 それを聞いた晃一は豪快に吹き出した。


 五階建てのビルの一階が文房具店で二階から上がすべて塾教室だった。予想以上に規模が大きく事務所も小奇麗だ。余計な人間がいたらやりづらいだろうと思うのに二人一緒に別室に案内された。大桑は納得がいかないが兄貴分は笑顔のままだ。

 社長は五十半ばくらいの小太りの男だった。大桑の紋付袴姿にぎょっとしたような顔をして不審そうにねめつけていたが、履歴書を差し出すと明らかに態度が変わった。大桑を肘でつつきそうに上機嫌な晃一に内心ためいきをつく。初見で社長の眉間に縦じわが寄っているのをみてとった大桑は気難しそうな男だと察した。気に入られたくなかった。とはいえ、言うべきことは言わないとならない。

「すみませんが、さきに年間契約がありますもので養蚕教師を廃業するわけにはまいりません。そういう事情ですから夜間の講義を受け持たせていただけるならとお伺いした次第です」

 養蚕の仕事は生き物相手なので本来昼夜を問わない。だが実際のところ教師としての講習会や実習会といったものは圧倒的に朝から昼間が多い。いっぽう夢使いの仕事はそもそもの稼ぎはないに等しいし、大桑の都合でどうとでもなった。意外なことに、社長はそれを聞いて相好を崩した。

「いや、それを聞かせてもらって逆に安心しましたよ。責任感がおありだ。時間の件は了解しました。あとで事務のほうから詳しいことは説明させるようにしますから」

 大桑は黙ったまま相手の顔をみた。今の言葉で誰かが突然この職場をやめたのだと仄めかされた。ひとが辞めるには何らかの理由(わけ)がある。大桑の視線にうながされ、社長がもらした。

「大卒の新人がこれで突然辞めましてね」

 これで、と言いながら社長の右手がその腹のうえで弧を描いた。本人のそれとほとんど同じようなラインだが妊娠という意味はつたわった。はあ、という気の抜けた声が大桑の口からこぼれおちた。それをどう思ったのか、社長はさらに言葉をかさねた。

「結婚の報告より先にそうきましたからね。慌てましたよ。塾とはいえれっきとした先生だってのに外聞も悪いし大事な生徒さんをお預かりしてる自覚がない。こう言っちゃなんですが若い女性には仕事なんて任せられませんよ、まったく」

 大桑は、はあ、とくりかえした。そして、外聞ねえと内心で首をかしげた。目の前の男は、大桑が夢使いとして依頼人と寝ることもあるのをきっと知らない。せいぜい夢使いが七歳の夢見式を執り行うといったことくらいしか理解していないのだ。《桑中之歓》といい、彼らが人妻と逢引する故事も耳にしたことがないに違いない。それはそれで悪くなかった。ある意味で夢使いへの偏見を持ちようもない。

 大桑は、三足の草鞋を履いてもいいかと考えた。養蚕教師の契約も農家の主が現役な間だけのことだ。あと十年もしないで恐らくは廃業するだろう。ならば今からこういう仕事を少しずつ始めても悪くないかもしれない。そう断じて口をひらきかけたときのことだった。

「おめでたいことだってのに世知辛いことおっしゃいますねえ」

 この仕事に乗り気だったはずの晃一がしかめつらで言いきった。大桑はぎょっとしてその顔を見たが意に介す様子はない。そのまま、百歩譲ってそういう人間を採用したのはあなたでしょうともでも言いつのりそうな様子だったが、いくらかむっとしたままの社長へと兄貴分はさらりと調子を変えてつづけた。

「不勉強なもので少子化になると塾ってのは困るものかと思ってましたがそういうわけじゃないんですねえ。いや、驚きました。御社はまた違う戦略をお持ちなんですなあ」

 もちあげられたのを察した社長は滔々と企業理念だか経営戦略だかを語りはじめた。いわく少子高齢化のみぎりうんたらという言葉のつらなりを、大桑はあくびを噛み殺し真顔をつくって耳を傾けるふりをした。客商売をしているのでそれくらいお手の物だった。さて、自論を語りいい気分になった相手へと、こちらの都合のいい時間とそれなりの時給を確保するためにどう切り出そうと頭を切り替えた瞬間のことだ。大桑の携帯電話が振動した。 

 失礼と口にして電話に出た。伯母だった。あなたの大伯父さん、たったいま亡くなったわ、と聞こえた。残念ではあったが九十を越していたので覚悟していた。つづけて通夜や葬儀の段取りが知らされるものと手帳をひらいた大桑だったが、その予測は裏切られた。

「悪いけどあなた、群馬県庁へ連絡とってくれない? もしものことがあったらあなたにお役を指名するって遺言があったのよ」

「群馬県庁ですか?」

「富岡製糸場の世界遺産登録について大事なお役目があったらしいのよ。詳しいことはそこへお尋ねなさい。もううちの一族ではあなたしか夢使いも養蚕教師もいないんだからお願いね」

 世界遺産の件は噂では聞いていたがまさか自分がそれに関係するとは思いもしなかった。大桑は番号を控えながらあたまを抱えそうになったがこれも「仕事」には違いない。 

 大桑は晃一の心配そうな視線に力なく笑い、困惑の表情を隠しもしない社長へ向けて口をひらいた。

大伯父が亡くなりまして、その仕事を引き継ぐことになったので急なことで申し訳ありませんがこのお話しはなかったことに。

 

 帰り道、ひでえオヤジだったなあと晃一が漏らした。いや、晃ちゃんのほうがひどいってと大桑は苦笑で言い返した。

「お前だって呆れてただろうに」

 大桑はそれにわらった。わらうだけにして肯かなかった。自分にはとくだん責任感などないつもりだったが、そうでもないらしい。そうと気づかせてくれたのだからなどと口にするつもりはなかった。

「タダシ、家賃は金のあるときに払えよ」

 晃一は思い出したようにそう言った。それから、まだ寄るところがあると背を向けた。大桑はその背へと深く頭をさげた。二重回しの裾のはためきが御礼の言葉をかき消した。


          了                    

  
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