唐草銀河

「遍愛日記」
3月23日 夕刻

3月23日 夕刻 (87)

   獏、離れいてるあいだに何かあったのかしら。なんだか前よりすれたというか、勇者の斡旋業というより、はっきりいって遣り手婆になってしまったみたいよ? どうしたんだろう。あっちの世界も世知辛いのかな。それともお互い好きだなんて言ってしまってもう遠慮がなくなったせいなのか。
 自分のことを考えるはずが、獏の微妙なかわりようばかり気になって、集中できない。獏は、私にそのことを話さないとわかっていたから。
「ねえ獏、いったん切るんじゃダメなの? 私の人生のことでしょう? 落ち着いて考えさせて」
「姫香、悠長なこといわないで。あのねえ、携帯電話じゃないんだから、そうはやすやす繋げないのよ。あたしがどれだけ苦労してかけてるのか、それくらい察してくれたっていいじゃない」
 もっともな言い分だ。こちらがごめんなさいとくりかえして謝罪すると、獏の気持ちがおさまったらしい。
「それで、どうするの?」
 さっきよりは幾分やさしく聞こえた。かつての懐かしい、ちょっと語尾がのびる甘えた口調を思い出す。別れ際にきいた凛と高貴なお姫様然とした声だけでなく、ふだんのちょっと頭のユルそうな舌足らずさ、わざとらしいふざけっぷりや、あの平穏で、いつまでもお喋りし続けることのできる女同士の安楽さ、そのとらえどころのなさと確かさを両方、愛していた。
 私は獏のほんとうの名前を知りたかった。マレー獏じゃない人間の姿も見たかった。流刑者だというからにはどんな罪を犯したのかも聞きたいと思った。そして、今いる世界がどんなところかとか、何をして暮らしているのか、そこで幸せなのか、何よりも、それを確かめたかった。
 でも、獏はそれを問うことを許さない。私も、そうして彼女の秘密を暴こうとは思わなかった。問いただして、もしも不幸だと言われたら、私は辛い。とても、たえられない。私は聞かないことで、彼女を信じていると嘘をつく。もう手の届かないひとだから、私が愛して慈しむことのできるひとじゃないからこそ、彼女は自分ひとりで幸せになることのできるひとだと、信じようとする。
 最後に聞かせてくれた、あの、超然とした声のもつ強さとやさしさだけを頼みに、雑居ビルの最上階、古道具に囲まれた塔のうえに住むお姫様の孤独を、それが美しいものだったと思うことにする。
 だとしたら、私は……。
「行かない」
 ごめん。私、行けない。行けないから、行かない。
 二度、くりかえしたところで、獏がうなずいた。そうね。
「ごめん。獏、私、ここでしたいことがあるの。死ぬかもしれない前に、やりたいことがあるから。それにまあ、残しとくとちょっと心配なひともいるし……」
 両親も弟も私がいなくなったら悲しむだろうし、友達も泣くだろう。それに、なんといってもミズキさんだ。浅倉くんがいるから平気かとも思うけど、もしかすると私がいない方が上手くいっていいような気もするけど、こちらの勝手で都合よく消えたと、なんだか激しく恨まれそうで恐ろしい。ふたりに、だ。
「姫香、よくわかったわ。じゃあ、推薦しとく」
 ん?
「獏? 私、断ったんだけど」
「そうね。だからOKの印つけて送っとく。実はね、危機に瀕してるのは地球人だから」
「え、だって、行かないって、ん? だって、あれ、地球、人類?」
「だからこそ、行かなきゃいけないときがあるの。そこがどうなってもかまわないって思ってる人間には任せられないでしょう」
 至極言い分は正しいが、特攻隊員じゃあるまいし、お国のためとか愛のためとかいうのは私の性分じゃないんだけど。
「姫香、正直にいうと、とりあえずの選別は全員が受けてるの。いい、全員よ? みんなのことだからあたりまえよね。それに、結果で判断してるわけじゃなくて、意志があるかどうかが問題なの。選ばれたヒーローなんて幻想はもう、持てないようなところまできてしまったの」
「獏、私、意味がよくわからないんだけど。なにが、起こるの? なにが起きてるの?」
「それは、あたしからは言えない。とにかく聞いて。全力を尽くしなさい。とにかくやれるだけやりなさい。悩んでも苦しんでも、それでも最後まであきらめないこと。あたしは、大丈夫とは言わない。それは貴女たちが決めることだから」
「獏?」
「死にたくなければ、生き延びる道をつくりなさい。それはもう過去の遺産から導き出せるものではないかもしれないから……」
「そんな、酷い状況なの? 大災害とか核戦争とか、そういうのなの?」
 恐る恐る問いかけると、獏は一笑に付した。
「べつに、それほどのことでもないのかもしれないわ。あたしは心配性なの。ほんというと、貴女にお迎えがくる確率も五割だから」
「五割って、それさあ」
「半々、ね。選ばれるかどうか、わからない」
 呆れた。それじゃあどっちでもいいって感じだ。なんだ、あんなに意気込んで考えたっていうのに。そう思って肩を落としたところで。
「でも姫香、貴女にだけは、なにが何でも生き残って欲しいの。ただそれだけ。無意識にでも覚悟があるのとないのじゃ、そのときの対応がちがってくるから。あたし、職権濫用でズルしてるのよね」
「私……」
「ほんとにそれだけだから。そろそろ、切らないと」
「獏! ちょっと待って、まだ、まだいろいろ話したいことが」
「知ってるわ」
 ふ、という軽い笑みが聞こえた。
「知ってるから、言わなくてもいいのよ。覗き見してるわけじゃないけど、よその世界に行かないって言えるようになったんだから、それで十分わかるって」
 そうか。
 そう、なんだ。
 すとん、と何かがおなかのなかに収まった。まだ、ころころと未練がましく音をたてているものの、次第しだいに、揺れはしずかになるに違いない。
「ねえ姫香、さいごにもうひとつ、あたしに教えてくれる?」


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